命を活かす調理(レシピ集)
はじめに
仏教の戒律にある「不殺生戒」。すべての命を尊び、大切にします。人間だけでなく、動物、植物、水や自然、ものに至るまで、かけがえのない全ての命を軽んじることなく、常に敬意をもって接します。そうした不殺生の教えに基づき、禅寺で修行として調える精進料理では、「食材の命」を重んじて調理します。
精進料理で用いる食材は主に植物や海藻、茸類や穀物ですが、それらの食材にも動物と同じように命があるからこそ、芽吹き、成長して私たちの手元に至ります。そしてその命を育てた生産者や、流通に関わる多くの方々の想いがこもっています。皮や切れ端は、確かに料理に使いにくい箇所かもしれません。しかし命の尊さに差はなく、どんな食材でも区別せずに等しく扱うのが精進料理の根幹的教えです。面倒だから、手間がかかるからと自分の都合で尊い命を軽々しくより分け、捨ててしまう安易な心を戒め、上手に使い切るように努力工夫します。禅寺の料理名人が調理を行うと、ゴミ箱にあまり生ゴミが出ないのです。しばしば混同されますが、ケチや節約を主目的とした使い切り料理とは異なり、禅ではなによりもまず命を尊ぶ不殺生戒の実践が主軸です。目の前の食材の命の価値を深く理解して調理すれば、愛おしい命を無駄になどできないのです。おのずから無駄を出さずに使い切るように手が動きます。そしてその結果として、副次的にコスト節約や環境保護にもつながってゆくのです。
日常生活を送る中で、命と直結する場面はどれだけあるでしょう?実は気が付かないだけで、水道の蛇口をひねってお水で手を洗うとき。道ばたで懸命に咲く小さな花が風に揺れているとき。身の回りで常に命が輝いています。私たちが毎日台所で料理をする際、ただ何も思わずに食べるためのものを作るのか。あるいは、尊い食材の命を必要なだけ分けて頂き、それによって得た力で前向きに進もうという謙虚な心を持って包丁を握るのか。自分の周りで、自分を支えてくれているたくさんの命の尊さに意識を向けることができるかどうかによって、私たちの行いがどうあるべきかが大きく変わってきます。自分でできる目の前のことを台所で地道に続けることで、自他を思いやる慈悲の心が育まれ、練られていくのです。
しかし何でも意固地に使いきることにこだわりすぎるわけではありません。たとえば堅くこわばった里芋の皮や栗の皮、メロンの皮、かぼちゃの堅いヘタなどは、特別な手法を施せばなんとか食べることもできなくはないですが、我慢して仕方なく口にするような料理になってしまうため、食用に向かないものを無理して使うことまではしません。
そのあたりの線引きには正解はありません。何をどう調理すれば食材の命が輝き、美味しく活かせるかを自分の暮らしの中で状況に応じて試行錯誤することが「精進」なのです。
自分にできる範囲で、命を活かす実践を継続するように心がける姿勢が大事です。
さて、今回紹介する献立はすり鉢やこし網などの伝統的な道具も使いますし、手順がたくさんあって手間がかかる料理もあります。そうです、今回は手軽に作ることができる精進料理ばかりを揃えて、なじみやすい印象を全面に出す企画ではありません。むしろ、精進料理はこれだけ丁寧に、手間をかけて「修行」として調理されているのだなあ、と実感して頂けるよう、なるべく禅寺で作られているいつもの料理をそのまま紹介しました。
初心者にとって敷居が高くならないよう、なるべく手順を詳細に、また具体的な過程写真を多く掲載することで、時間さえかければ失敗せず、見本通り仕上がるように配慮致しました。是非、この中の一品だけでも、実際に作り、静かに味わってください。禅の教えが、より身近に、リアルに感じて頂けるものと存じます。