自分と向き合う時間を大切に
「自己」とは何か?
とても大きな問題です。わかりやすいようで捉えどころがないこの問いは禅の僧侶においても一生涯の命題でした。
その問いの答えとして実践されてきたのが坐禅修行と言えるでしょう。
身体を調える(調身)
呼吸を調える(調息)
心を調える (調心)
身体と呼吸と心は独立しているのではなく相互に影響し合っています。三者のちょうどよいバランスを図るのが坐禅の実践なのです。
道元禅師が坐禅について著された『普勧坐禅儀』の中にこのような一節があります。
須らく回光返照の退歩を学すべし
『普勧坐禅儀』
私たちは、自分が思いどおりにならないことがあったときなどに、自身の外に目を向け原因を探し、解決の糸口を見いだそうとします。そうした外に向かう心のはたらきを内側に向けてみる、つまり内省へと転じてゆく、これを「回光返照」と言っています。それが「退歩」なのだとも言います。退歩とは“退化”ではありません。ものごとの根本に立ち戻ることです。
つまり、自己を見つめ直し、本来の自分自身に立ち返り、あるべき生き方を再構築する、そのような坐禅のありようを言い表されたのです。
坐禅ばかりが修行ではありません、読経や写経などの実践、あるいは作務や食事、そのほか日常の様ざまな一コマにおいて、真摯に打ち込み、自分自身と向き合うのが禅の価値観と言えましょう。
日常生活の様ざまなシーンにおいて、一つひとつを丁寧に…、それが私たち自身と向き合う時間でもあるのです。