ふくしま故郷再生プロジェクト現地聞き取りレポート(8)

2020.10.09

東京電力福島第一原子力発電所事故と放射能汚染

寺院住所 福島県伊達市霊山町
協 力 者 住職(代表役員)、寺族、寺院役員・檀信徒 5名
訪 問 日 2019(令和元)年12月23日(月)
位  置 福島第一原子力発電所から51.5㎞
放射線量

室内(書院)  0.101~108マイクロシーベルト毎時
年間推定積算値 0.884ミリシーベルト

 

屋外(山門)  0.116マイクロシーベルト
年間推定積算値 1.016ミリシーベルト

※参考値 
福島駅    0.037マイクロシーベルト毎時

 

現地聞き取りの沿革

これまでの「ふくしま故郷再生プロジェクト」の現地聞き取り調査の中で、当地・福島県伊達市霊山町の寺院では、今回も含め3回の協力をいただいています。初回は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故から約半年後の2011(平成23)年10月4日に実施されました。当時は未曽有ともいうべき震災の傷跡が残り、さらには放射能汚染の実態も把握しきれていないさなかでのヒアリングでした。第2回目は、そこから約4年4ヵ月後の2015(平成27)年7月29日の再訪問となりました。依然として放射能汚染は深刻な状況の中、農作物の生産再開と出荷にまつわる苦労話などを教えていただきました。

このような状況も踏まえ、第3回目の現地聞き取り調査を、ここで重ねることになりました。なぜ同じ寺院と檀信徒の声を何度も聞き取ることになったのかといいますと、一口に福島県内の放射能汚染といっても、単純に事故現場となった東京電力福島第一原子力発電所からの距離によって、その汚染の度合いが決まっているのではなく、ここ伊達市のように発電所事故現場から50キロも離れた比較的遠隔地でも高濃度の放射能汚染があり、また同じ地域でも斑模様のようにかなりの濃淡があることなど、かなり複雑な状況を定点観測することによって、ふくしまの現実の一端が見えてくるのではないかと考えたからです。

また、単に物理的な放射能汚染の問題だけではなく、現地の中で生活している檀信徒や地域住民の暮らしも、震災と原子力発電所事故の直接間接の影響で、文字どおり翻弄され続けてきた現実を、生活者の視点と生の声によって再現したいと思ったからです。ふくしまの大地と人々が担わされた様々な問題や苦しみを一般論として理解することはできません。しかしながら、ある時点のあるところでの限られた人々の現実であることは確かです。

ここで表現された伊達市の現場の様々な問題や課題は、対岸の他人事ではなく、狭い日本の国内であればどこでも起こりうるであろう姿として受けとめていきたいと思い、今回の3度目の聞き取り訪問となりました。

 

ふくしまの声 ―聞き取りまとめ―

①放射線量の測定とその推移について

――東京方面から福島県に来る間、東北新幹線車内で放射線量を測定してきました。山門前で線量値を調べてみました。今回の値は0.116マイクロシーベルト毎時で、震災と原発事故直後(2011年)と、4年前(2015年)の再訪問の測定値と比較すると、全体として空間線量は逓減していますが、だだ土壌のことであるとか、(除染されていない)森林の放射線量であるとか、お寺の境内地や墓地の特定の場所がどうなっているのでしょうか?

「前回聞き取り(2015年)でもお話ししたと思いますが、本堂裏の桜の木が7万ベクレルという高い数値が出ました。私が福島市内の檀家さんにこのことを話したら、「あぁ、ああいうことですか!」という返事が返ってきました。私が「ああいうことって、どういうことですか?」と聞き返したら、福島市内のある有名な桜並木を突然高圧洗浄機で大々的に除染していたと。どうも行政は桜の樹皮の線量が非常に高いということは分かっていたらしいのです。それの研究発表が3年後にありまして、その発表者がこの寺院で7万ベクレルを測定しました。同じく福島市内のある幼稚園の桜の木では、なんと20万ベクレルという調査結果を公表しました。同じ場所でも、立地や様々な条件で、高濃度の放射能が残っています。」

 

――その研究発表について、くわしく教えてください。

「その発表者のお一人で、福島市内の大学の教員で農学が専門の先生が、境内地の竹林のタケノコやその土壌を採取して、その残留線量を調査されています。
境内地の放射線量は、全体としては低くはなっているのですが、ある場所によっては、逆に高くなっているという結果になっています。
境内地に自生しているタケノコの残留放射性物質は、主に土壌からの吸い上げという結果になっています。ここの裏参道の曲がり角のところは低くなっていますでしょう。(資料を示して)平らの段になっている、そこから採ったタケノコの放射能線量はものすごく高かった(7万ベクレル)。傾斜などの地形によって、放射性物質が流されたり、逆に滞留して土壌に蓄積しているなど、斑模様ですから安心できません。」

 

――桜の木の皮と放射線量についての調査について教えてください。

「先生が、校庭の桜の木に子どもたちが手で触れるので、危険ではないかということで放射線量を測定してみたら、すごく高いということでした。その皮をある程度取って、私の「霊山プロジェクト」のところへ持ってきて測定した。私のところでも、いろいろデータをとって3年後に研究発表し、2019年に研究誌に投稿されています。(※「伊達市の同一竹林内で採取されるタケノコにおける放射性セシウム濃度の差異」)」

 

――20万ベクレルとか、7万ベクレルとか、素人では見当もつかないのですが、どのような値なのですか?

「まぁ、そこを一時的に通り歩きする程度ならかまわない。ただし、子どもらが直接手などで触れると、どうしても手を口にするなどして内部被曝するということになるだろうと。」

 

――どうして、桜の皮なのでしょうか?

「セシウムは、カリウムと同じような分子構造らしいですね。桜の木の皮が黒くなっているのは、実はあれは苔なんだそうで、苔はセシウムをカリウムとまちがえて、いわば栄養、養分として取り入れてしまうのだそうです。だから、原発事故当初は、コンクリートなどをデッキブラシでこすって流せば大丈夫だということで、一生懸命やったのですが、一向に線量が落ちない。そのわけが分かりました。苔がカリウムとまちがえてセシウムを抱えてしまっていたのです。」

「私のところでは、4月に大阪の鉱山業者からドイツ製の線量計を購入しました。その機械は、5マイクロシーベルト毎時以上で警告ブザーが鳴るように設定されていたのですが、私の家に到着したら、そのブザーが鳴りっぱなし。家の中でも鳴って、外に出て、10マイクロシーベルト毎時まで鳴らないように設定しても、それでもブザーが鳴りつづけるという状態でした。伊達市からの指導で、屋根も壁も庭も全部水で洗って下に流し、その後で大手メーカーが来て、玄関先の線量を測定しました。0.23マイクロシーベルト毎時以上が特定避難勧奨地点になるというところで、玄関先はすでに洗浄しているので、あまり高い線量でなかったけれども、3メートルくらい離れると、3マイクロシーベルト毎時とすごく高い。そこを測ってくれと言ったら、測る場所が決まっているから駄目だということでした。避難勧奨地点を決めるときも、隣の家が指定になって、自分の家はならないなど、混乱や不和があります。」

 

――地域的には本当にほとんど変わらないにもかかわらず、たまたま測った場所の線量の値で待遇に大きな差がついてしまう。

「はじめに避難勧奨地点の指定を受けたときは、指定を受けない人はみんな、『指定を受けて自分の家に住めないなんて気の毒だね』と言ってくれたんです。その後、1ヵ月あたり10万円補償するとか、そんな金の話になったら、一転して「あなた方はズルい」となってしまった。われわれ指定を受けた人間が先頭に立って、国に働きかけて地域全体を補償してほしいと訴えた結果、若干ですけれども、補償金をもらえるようになって、そこでようやく……。金が絡むとこのような問題も生まれてしまうのです。」

 

――そうですね。今まで和気藹々とやっていた村の仲間が、それで分断されるんですね。……ということは、放射能の体に対する影響も大きいのでしょうけれども、日常生活や精神的なところでの目には見えないところのいろいろな圧迫とか、イザコザというか、神経をすり減らす方も多くいらっしゃるんですね。

「家族も分離されて、今も私の地域では、子どもが心配だからと、奥さんと子どもが名古屋に行って生活していて、旦那さんがこちらで働いているというケースもありますね。」

「仕事の現場は飯舘村でしたよね。」

「飯舘村の入口では、0.5マイクロシーベルト毎時くらいの表示になっている。馴れっこになっているといえば馴れっこになったが、なんとも気にしなくなった。飯舘村の長泥(ながどろ)(帰宅困難地域)というところは、今でも駄目だね。まだ戻れない。比曽(ひそう)行政区あたりもまだ戻れない。」

 

――以前、飯舘村役場をまわったときに、庁舎前の線量表示パネル見ました。意外と低かったのですが、これは付近の除染を徹底しているから低いのですよという説明でした。

「線量が高いところはいくらでもあると思う。このへんでは宅地しか除染していないけれども、飯舘村は山の30メートルくらいまでは除染している。」

「公共施設のところに設置している線量モニター、あれらを私らは信用できない。私の住む小国地区では、交流館や公共の学校の施設などに設置されている。しかし私の持っている線量計でそこを測ると、値が全然違う。その設置されているモニターも、高い線量出てくるようになると、止めてしまう。そこに掲示されている看板が「調整中」となったまま。これは『いくら精度のいい機械でも長く使っていると、放射性物質が付着したり、いろいろあるから、正常な数値に調整する』とかだったら、「修理中」でいいのではないか。」

「ですから、除染した道路のところはモニター表示が消えているものね。」

 

――いま、室内で放射線量を測ってみたら0.108マイクロシーベルト毎時でしたが、最初にうかがったとき(2011年)には、同じこの書院の室内で0.3マイクロシーベルト毎時以上ありました。ですから、単純に比較すると、3分の1にはなってはいるんだけれども、ただ、外に出てくぼ地であるとか、段差のあるところにいくと、とんでもない数値に跳ね上がるところがあるということですか。

「はい、そうですね。いまもって山菜などダメなものがあるのです。」

 

 農作物と放射線量

――山菜の種類によって、放射性物質を吸収しやすいのとそうでないのとあるのですか?

「あります。コシアブラとか自生のキノコも若干ですが。」

「原発事故当時のことですが、専門家の先生によっては、野菜食べてもいいよという先生と、ダメだよという先生がいらっしゃって、そのことをずっと煮詰めていくと、どうもネギとかニラはよろしいのだと。ところが、他はダメだと。ネギとかニラといえば、カリウムを好む野菜なんです。カリウム肥料をいっぱい吸い上げていることから、同様の分子構造をもつセシウムは吸い上げないということで大丈夫だと。これは後から分かったことです。」

 

――今まで、そのようなデータがあったわけではないですからね。野菜はみんな一様にと思ったら、そういうことではないということですね。

「山菜の中では、根の浅い種類が放射性物質を吸収しやすいのです。汚染されている腐葉土層と地面の間に根を張っている例えばコシアブラなんかは吸収してしまう。」

 

――それでは、腐葉土を全部掻いてしまえばいいという話でもないですね。やはりこれだけの広大な山林ですから。

「そうすると今度、雨が降ったときに、土砂流出になる。」

「そうです。始末が悪い。ここに、ちょっとした記録があります。私、趣味で畑で野菜を作っているのですが、それの検査結果(伊達市自家消費農作物モニタリング調査結果票)です。頂き物の玄米なんかも検査しています。平成25(2013)年12月ですと、柚子が76.8ベクレル(セシウム137)。同じ年のタケノコで、危ないところを避けて、採ったものでは、検出せずという値です。前の年(2012年)の里芋は、これも検出せずです。あと、ブルーベリーも少し作っているのですが、平成24(2012)年で、30ベクレル。これはダメだ。こんなふうにして、いろいろと野菜果樹を検査に出してやっていましたね。」

 

――農家の皆さんは、生産されて外に出荷される場合は、全部、放射線量の検査は義務づけられているのですか?

「そうです。出荷する場合はもっと厳しいですね。」

 

――その放射線量検査で引っかかるというか、基準値以上というのも現在でもありますか?

「一部、あります。私のところ(霊山町小国地区)の近所の畑の柿、これは震災後ずっと放射線量が高くて出荷できない。実際、今年もダメだったんです。その方のところでは、樹を切って根から掘り起こして、苗木を植えてくれて、これで補償だと。その人の言うのには、柿の実がなるまで何年もかかる。これからどうなるのかと。」

「私の住んでいる霊山町石田地区でも、やはり同じようなかたちで作業進めています。」

 

③地域の産業への影響 放射能測定への疑問

「食肉加工業の方はどうですか? 厳しかったでしょう?」

「今は、とくに厳しいというわけではないですけれども、原発事故当時はもう作れないから、群馬県か長野県の方に移動しますということで、そちらの工場へ移動させられました。水源が駄目だからということだったのですが、調べたら残留放射能は全然出ない。当時福島県には食品の放射能を測る測定器がなかったんです。まず、井戸水を調べるのに福岡まで送ったところ、全然大丈夫だったところから、ようやく動き出して、できたのが2~3年後。全部、群馬の方へ移動させられて、今度は線量下がったから福島県へ戻ってきていいよということになったのですが、こちらの方は人がいない、人手不足で。というのは、除染の方へほとんど人が振り替えられてしまったため、人が集まらなくて、商品が作れないという状況です。だから、われわれはあまりいい目は見ていない。悪い環境というか、いまだに原発事故前の状態には戻ってきていない。福島県の原発への肯定というか、備えをしてこなかったのが大きな間違いだったのかなと。とにかく福島県では初めに水源等の放射能を測れなかったというのが一番の問題点だったのです。」

 

――危ない、危ないといっても、なにを基準にして言うのか……。

「事前の備えをしていなかったのが……。」

 

――もう国も含めて原子力発電は絶対安全という一種の信仰のようなものが……あれだけ頑丈な原子炉で建屋だから、旧ソ連のチェルノブイリで起きたようなことは絶対あり得ないだろうと。原発事故というのはよその国の話だというようなところがあったのでしょうか。

「そう、そうです。”想定外”ということでしたが。」

 

――地震・津波でただ電源が止まっただけで、あれだけのことになってしまった。このようなことは、東京電力福島第一原子力発電所事故だけではなくて、今いろいろと対策はしているようですが、電源がダウンしたら、みんな同じようになってしまうわけで、福島が最初で最後という保証はどこにもないのですから。

「そうです。その前の数値が分からないのですから。原発事故が起きる前のデータは持っていないので。」

 

――原子力発電所は放射線量の測定データを持っていたのでしょうけれども、それは一切公表されていないでしょうから。

「福島県と福島市は測定していたようです。ただ、それを最初に公表しなかったから、ないということになったのでしょう。」

「あとは、あまり「放射能!放射能!」と強調すると、福島県がダメになってしまう。農産物が売れなくなるというジレンマですね。」                               

  (つづく)

人権擁護推進本部 記