復興支援活動紹介(7)福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」

2013.10.24

東京電力福島第一原子力発電所の事故から2か月後に、福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」を立ち上げ、今も除染活動を続けながら故郷の再生に尽力する福島県常円寺住職の阿部光裕さんにお話を伺いました。


福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」立ち上げの経緯からお伺いいたします。

――福島は農地や山林が多いので、汚染された地域全てを除染するのは無理だろうと思い、植物が放射性物質を吸収する力を利用して除染する事は出来ないだろうかと考えました。また、福島の人たちは原発事故発生後、何が正しくて、何が正しくないのか分からない状況だったので、ものすごい重圧の中、閉塞感が蔓延していました。そこで、花を植える事で明るくすることはできないだろうかと考え、そういう両面で花を植えていこうと思ったのです。ひまわり、菜の花等、いろいろな花を日本の人口と同じ数の1億2千万本咲かせることを目標にしました。


それが「花に願いを」の活動ですね。

――花を植えるだけではありません。原発事故が起きてからすぐに、表面にある汚染された土を取り除く除染作業は必要だと思いました。また、福島の人々が復興再生に向けて少しでも自発的に動き出せるように、やれることはなんでもやりたいと始めたのがこのプロジェクトなのです。
最初は避難したくてもできない人の家の除染を中心にやり、お寺の裏山の一角を私設の仮置き場として、汚染土を預かることから始まりました。正直、相当な勇気が必要でした。賛否があるのは当然です。しかし、周囲からはそれほどの批判はありませんでした。おそらく、自発的に除染に取り組む姿を見ていてくれたからだろうと思います。
現在は、そこが福島市の仮置き場のひとつになりました。市から、その場所を仮置き場として提供してほしいと頼まれた時に、「自分達の地域の汚染土だけを置くのならお貸しできない」と行政の担当者に言いました。つまり、自分達の行政区以外の汚染土も率先して受け入れることを条件にしたのです。なぜなら、自分達の地域だけとそれぞれが言ってしまえば、仮置き場のできない所は除染が進まないと考えたからです。あえて、いばらの道を選んだのです。檀信徒からの反対もあるだろうなと思いましたが、実際にはほとんどありませんでした。現状を理解し、我慢をしてくれているのだと思います。


ボランティアに参加されている方もたくさんいらっしゃいますね。リピーターの方も大勢いらっしゃいますが…

――ボランティアを立ち上げてしばらくは地域住民達と主に活動していましたが、2012年の1月から一般のボランティアを受け付けました。これまで延べ2,600人が除染ボランティアに参加しています。私は放射能に対する知識は元々ありませんでしたが、東電関係者、環境省の人や、県や市の行政関係者等、いろんな分野の方や専門家が来てくれたお陰で、放射能や除染に対する知識が次第に身についていったのです。
また、県外の人の力を借りて少しでも閉塞感を打破したいという想いもありました。これまで自発的に何か動き出そうと、単発的なイベントの様な事はありましたが、地道な活動を続けるボランティアはそう多くありません。しかし、本当の意味での復興を目指すのであれば、活動は継続していかないといけません。除染のボランティアも震災後いくつかありましたが、今はここだけです。ただし、お寺でボランティアを受け入れると、宿泊や食事の準備をしなければならないので、大変です。なかなか一寺院でできることではありません。それに、除染活動をする方にはガイガーカウンターを付けてもらい、積算放射線量を管理しなければなりません。積算量がオーバーする人には、「来ちゃダメだ」「今月は無理だ」と言います。1年間通しての被曝限度である1ミリ・シーベルトは守らなければなりません。参加者の年齢、性別、結婚、現在妊娠しているのか等、様々な事を考慮した上で活動内容を振り分けます。それだけ責任のある事なのです。


2,600人もの方がこの活動に参加されたその理由は何なのでしょうか。

――みなさんのことを見ていて思うのですが、誰一人「俺がしてやっている」という様な事はおっしゃいませんし、自分達の活動に対しての見返りを全く求めていない。だからみんな来るのだと思います。私は参加者に対して「ここに来ても何も感謝されないよ」と何度も言いましたが、それでもみなさん粛々とやってくれます。
参加者の中にはご高齢の方もいますし、元々それなりの立場にあった方もいます。でもここで活動する時は、そんな肩書きや経歴は関係なく、みなさん黙々と取り組まれます。そういう爽やかな雰囲気が良いのではないかと思います。


活動している場所は誰もが通る場所であり、子どもたちの通学路などです。阿部さんが除染を続ける理由には、放射能の影響を受けやすい子どもたちに、安全に通学してもらいたいという想いもあるのでしょうか。

――その一念です。原発事故が起こったことにより、元々なかった放射能を気にしないと生きていけない状況になってしまいました。だからこそ、我々大人が最低限、気にしなくても生きていけるようにしなければなりません。細かく計って、ホットスポットを見つけては除染をしていきます。特に町の中は複雑ですから、細かくデータを取って、そして除染をしていくのです。


やれば変わる。やらないと変わらないということですね。

――中には我々の活動に対して無駄だとおっしゃる方もいますが、それでも良いのです。確かにきりが無いと思います。汚染された地域全てを自分達の力で除染するのは難しいと思いますし、この活動がすぐに安心に繋がるかは分かりません。でも、原発事故によって撒き散らされた放射性物質は、自然界に元々あるものではなく、元来なかったものなのですから、除染する事で違ってくるのは事実です。震災後、「避難したいけど夫の仕事があるから避難できない。子どもがいるから心配だ」というお母さんから相談がありました。その方はストレスによって円形脱毛症が出来てしまっていたのです。そこで、その家の庭を除染したところ、表情が見違える様に変わっていきました。理屈や綺麗事ではない現実がそこにありました。だからあるより無い方が良いに決まっています。例え、一般的には安全な数値であろうと、あるよりは無い方が良いのです。やれば変わります、でもやらないと変わりません。


震災から2年半が経過しましたが、まだまだ時間のかかることなのかなと思います。

――これまでずっと走り続けてきましたから、家族やスタッフは正直ヘトヘトです。最後まで活動できるか分かりませんし、先も見えないことですが、最大限やりたいと思います。ただ、我々が活動を始めてから変化の兆しも見え始めていて、住民達が動き出して自ら除染をやろうという人が増えてきているのです。先日は、福島駅前の地区の除染ボランティアに400名の地元参加者がありました。「ノウハウを教えて欲しい」「手伝って欲しい」と、声をかけられる様になりました。我々が先頭を切って一歩前へ踏み出した事で後に続いてきてくれているのです。少しずつではありますが、震災以降福島にある閉塞感を自らの力で打破しようとしているのかな、前を向いているのかなと感じます。

原発事故発生後、何を信じていいのか分からず混乱している中、阿部さんは前へ踏み出しました。苦しい中でも地道に活動を継続され、その志に多くの方が賛同し、ボランティアが集まりました。今では地域住民も自主的に除染をするようになってきています。阿部さんが蒔いてきた種は芽を出し、花を咲かせ始めています。この花が福島中に咲き誇り、大切な故郷が一日でも早く再生できる日が来ることを切に祈ります。


福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」の活動については、下記のサイトをご覧ください。 
[花に願いを]公式ブログ 「人生は365歩のマーチ」 http://ameblo.jp/hananinegaiwo/

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