大本山總持寺開山太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌 南アメリカ予修法要開催報告
おかげさまをもちまして南アメリカ国際布教総監部では、去る5月6日、7日の両日に亘り、曹洞宗宗務庁内局より倉内泰雄出版部長を大導師にお迎えして大本山總持寺開山太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌予修法要を厳修し、円成をむかえることがかないました。これもひとえに関係各位の御尽力によるものであると深く感謝をしております。
当管内における世間一般の信仰の状況は、キリスト教が圧倒的多数派です。仏教は少数派であるうえに、日本伝統仏教各宗派の他にも中国台湾系や上座部系の団体も存在し、細分化しています。しかし、当職が肌で感じるところ、佛心寺をはじめとする曹洞宗寺院は極めて篤い想いを抱く人々にしっかりと支えられていることに疑いの余地はありません。
お寺に対して、自分の民族的ルーツ、祖国祖先との繋がりを重ねている日系人、キリスト教を信仰するのがごく普通で当たり前のこととしている家庭に育ちながら、自らの意思で禅を選択して学び実践している非日系人、この2つのまとまりに大別できる各集団は趣を異にしていますが、それぞれにとても熱心でこの上ない心強い外護者です。これらの集団を形成している一人一人が抱いている曹洞宗への深い帰心が現実の形となって、この度の予修法要に結実しました。
法要が備えている布教教化の力について気付かされた事例を御紹介します。佛心寺は治安上の問題に対処して境内地に柵を回し二四時間体制で門衛を配置しているのですが、堂宇中で営む行持を柵越しに外の通りから眺められるよう本堂玄関の扉を開放しています。諷経で導師を勤めていて中央香台から帰位する際、開かれた扉の向こう側で恭しく合掌し頭を垂れている人や物珍しそうに観察している人をよく見かけます。
ある朝、大型バスがお寺の前に停められていて、乗客の到着を待っているのであろう男性運転手と女性添乗員が朝課の様子に興味を示していました。この若い2人は、初めのうちチラチラと本堂内をうかがいながらスマートフォンで私たちを撮影したりしていたのですが、終わりの頃になると手を合わせてこちらを拝むようになりました。彼らは、最初、見慣れぬ装束をまとった仏教僧が日本語で営んでいるエキゾチックな宗教儀式の光景に引き込まれ、それを見ているうちに意味が分からなくとも雰囲気的に何かしらの敬虔なものを感じたのでありましょう。知らず知らず畏敬の念を抱いた対象に理屈抜きで素直に礼拝するという人間の行為を目の当たりにし、当職は美しさと感動を覚えました。
南米地域の宗教は欧米由来のキリスト教が圧倒的地位を占めているように、生活習慣も欧米式である場合がほとんどです。日常的に直接床に座る暮らしをしていない彼らにとっては、お拝をすること一つですら身体の特別な使い方になります。ましてや和服を着て普段過すことはありません。
随喜した宗侶たちも、一部を除いて欧米流の生活を毎日おくっているのが通常です。特に非日系の寺院やサンガに属して活動をしている宗侶は坐禅によく親しんでいても、日本国内でのように山門行持や檀務が頻繁にあるわけではなく、むしろほとんど機会がないと言えます。ゆえに法式進退を意識する場面が極端に少なく、今回の予修法要は研鑽を積む貴重な機会でもありました。限られた習儀の時間のなかで、彼らは涙ぐましい奮励努力を積み重ねて一連の予修法要行持に臨んだのです。
当職を筆頭に拙さを隠し切れないことは慙愧に堪えないのですが、随喜衆と参詣者が皆共に等しく法悦にひたったという事績は何ものにも替えられず、当地における布教伝道の一里塚となり得たものと信じます。
(文責 南アメリカ国際布教総監部 総監 清野暢邦)