「法話の会」が開催されました
2月18日、東京グランドホテル(曹洞宗檀信徒会館)において、布教師養成所研修課程所員による「法話の会」が開催されました。
「法話の会」は本宗の布教師を養成するため、年3回行われている布教師養成所の研修の一環として、研修課程所員が準備段階から携わり企画したものです。今回は研修課程所員6名の中から代表して2名が法話をされました。参加者は 一般より30名が集まり、皆一様に法話に聞き入っていました。
法話が始まる前に約5分間の「いす坐禅」をして心を落ち着かせた後、北海道天總寺副住職の谷龍嗣師が「布施という生き方に出逢う」、山形県見龍寺住職の池田好斉師が「利他の姿」という演題で法話をされました。
谷師は、冒頭、道元禅師が著された「典座教訓」に紹介される「他は是れ吾に非ず、更に何れの時をか待たん」という宋の典座老師のお言葉を紹介された後、とある檀家さんのお話をされました。
その檀家さんは、病を患った際、先代住職と奥さんに大変勇気付けてもらい、病気の不安と戦うことができましたが、体調の優れない自分はお世話になったお寺に何が施せるのか分からないでいました。しかし、自分でもできることを見つけ、病気の苦しみを知ったからこそ他人に対して思いやることができました。
他に施すことができるのは自分自身しかおらず、施しあいの中にこそ一人ひとりが幸せになり、一人ひとりの命が大切になるという社会の実現があると話しました。
池田師は、上所重助氏の「おかげさま」という詩や、生物学者の福岡伸一氏の「生命の惜しみない利他性」というコラムに触れ、人々は支えあって生きているということと、生命は本質的に利他的であるということを説かれました。
また、娘さんを若くして亡くされながらも、自坊の梅花講設置に尽力してくれた檀家さんが亡くなってしまった際のエピソードも話されました。
そのかたは、お人柄から多くの仲間から慕われ愛されていましたが、それは、心の中ではいつも亡くなった娘さんと共にあり、娘さんを失った悲しみを優しさに変え、人々に安らぎを与えていたのだとされ、生命の利他性は本質的に永遠なのだと話されました。
次回の「法話の会」開催日は、予定が決まり次第お知らせいたします。