宗旨
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝の仏法」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。
教義
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。
お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。
日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。
宗歌
曹洞宗宗歌は、お釈迦さまの正しい教え(正法)が、今日まで脈々と伝えられてきたご様子と、その正法の尊さが示されたものです。
「曹洞宗宗歌」意訳
お釈迦さまはある時、大勢のお弟子さまの前で、一本の蓮華の花をかかげられました。それは、この世のあらゆるものが互いにかかわりあい、生かし生かされて存在しているということを、言葉ではなく華を拈ずるという行動で示されたものでした。このとき、お弟子のひとり、迦葉さまだけがお釈迦さまのこころを理解されて微笑まれたのです。お釈迦さまはその時、「私が修行して得たところの正法眼蔵涅槃妙心(正法の真髄である仏心)を、いま摩訶迦葉に伝える」と宣言されました。「花の晨に片頬笑み」とは、このお釈迦さまがお弟子の摩訶迦葉さまに正法を伝えたという「拈華微笑」の故事をうたったものです。
お釈迦さまから迦葉さまへと伝えられた正法は、またそのお弟子さまへ、そしてインドの二十八祖達磨さまへと伝えられます。達磨さまはさらに中国へ正法を伝えられることを決意され、長い旅路のはてに中国へと渡られ、以後面壁九年といわれる坐禅を修行されることになります。達磨さまと、中国の二祖となられる慧可さまの出会いには、大変有名な説話があります。
達磨さまが嵩山少林寺において坐禅の修行を続けられていた時のことです。それは12月9日、身も切れるほどの厳冬のことでした。慧可さまは、遠いインドから来られた達磨さまに道をもとめられ、その切なる願いに腰まで雪に埋もれながら、自らの体を傷つけるほどの強い思いを示されたと伝えられています。
達磨さまは慧可さまの熱意に応え、後に慧可さまにお釈迦さまからの正法が伝えられることになりました。「雪の夕べに臂を断ち」は、こうしてお釈迦さまの正法が中国に根を下ろした次第を述べているのです。
やがてお釈迦さま以来の正法は、中国での修行から戻られた道元さまによって日本に伝えられ、瑩山さまによりひろめられました。「荒磯の波も得よせぬ高岩に」は、荒波が打ち寄せる海岸の、波も寄せ付けないほどの高い岩に、ということです。
「かきもつくべき法ならばこそ」の「かきもつく」は書き尽くすと掻き付く、「法」は教えの法と海苔の二様のかけことばです。「べき」は可能をあらわします。
高岩に掻き付く海苔があるように、尊いおしえであればこそ、それを求め伝えようとする人々によって、書き尽くし、書き残そうとする努力が積み重ねられ正しく伝わるのです。
今一度、私たちは、摩訶迦葉さまの微笑みと慧可さまの断臂のありように、身命をかけた求道の心と、そのようにして伝えられてきた正法の尊さを静かに学びたいものです。