曹洞宗におけるSDGsへの取り組みについて(2)
「曹洞宗におけるSDGsへの取り組みについて(1)」に引き続き、本稿では宗務庁内の部署の一つ、人権擁護推進本部(以下、人権本部)での取り組みをご紹介いたします。
曹洞宗では、2000(平成12)年から全国の曹洞宗寺院の方々に教区単位での人権学習を設けていただくようお願いしています。そのため、人権本部では、その年に学習していただきたいテーマに沿った資料を作成してきました。今年は「障害」がテーマとなっています。
このテーマはSDGs⒑「人や国の不平等をなくそう」というゴールにあたります。取り組みそのものは2018年度から始まりました。そのきっかけは2016年4月に施行された『障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律』(通称『障害者差別解消法』)です。
寺院住職は宗教法人の代表役員でもあります。この法律では事業所の努力義務として、不当な差別的取扱いの禁止、合理的配慮の提供が定められており、宗教法人もその範疇と考えることができます。今までの寺院運営のあり方を捉えなおす機会として資料の作成を行いました。
まず、人権本部では法律や障害そのものの理解が必要だと考え、2018年度資料を作成しました。そして次年度は、障害を解消する合理的配慮について具体的な方法の提示について資料にすることを考えました。
しかし、人権本部員同士で話し合っていても、手すりやスロープなどの設備に関することは思い付いても、その他に必要な具体例がなかなか思い付きませんでした。
そもそも、合理的配慮という言葉がある障害者権利条約の原文は英語です。少し調べてみると「Reasonableaccommodation」の翻訳でした。英語の意味まで含めて考えれば、「配慮する側」と「される側」が相互に納得できる調整とか折り合いといった意味になります。
そうすると、手すりなどの設備を作っても、それらが不要な障害がある方々への合理的配慮はなされていませんし、逆に設備を作らなくても互いに納得できる方法もありそうです。しかも、お互いに折り合いをつけるということなので、配慮しようとする側が一方的に考えていても決着がつかないことに気がつきました。
お寺にどんな配慮が必要なのか、具体的に何が不足しているのかなどを考えるためには、障害に直面して生活している方々にお話を聞かねばなりません。
そこで障害者福祉事業を提供するNPO法人の理事長であり、資料の作成や研修テキストの寄稿などでご協力いただいている中村和利さんを始め、お寺に来ていただける方々を募りました。2019年度資料には、募った方々をお迎えするために住職が考えたことや、お参り当日に困ったことなどを記載しています。 例えば、皆さんにお参りいただいた後の茶話会の準備などがあります。ストローや飲み物の温度など、普段よりも気を張って準備していたのですが、お参りした後だったこともあったのか、皆さん和やかな雰囲気での茶話会となり一安心しました。
その中で、車椅子ユーザーの方から、固定されている足が本尊さまに向いてしまって失礼ではないか不安だった、というお話がありました。この方は故意に向けているわけではなく、床を歩く足でもないので、住職の立場からすれば「本尊さまは失礼だとお感じになられませんよ」と説明はできます。けれど、この方の中にある「私」が本尊さまに対して敬意を表したいわけですから、それぞれの立場で考える必要があります。安心してお参りするにはどうしたらいいのかを一緒に考え、今回は足元にタオルをかけることになりました。もちろん、足が本尊さまに向いてしまう方は全員タオルが必要という話ではありません。それぞれの立場にある様々な「私」が安心してお参りができる工夫をしていくということです。
また、生まれたときから身体障害のある方が、初めて本堂でお参りできたとおっしゃっていました。しかも、これまでお寺に行くことすら考えてこなかったということだったのです。
幼い頃から養護学校に通い、近所の友だちと遊ぶこともなく、お寺の境内で遊ぶといったことは皆無だったそうです。この方にとって、お寺という存在は知っていても、人生には関わりが無かったといえるかもしれません。よくよくお話を聞けば、曹洞宗寺院の檀信徒だということでした。
我々にとって、お寺で初めてお参りするありがたい時間に立ち会えた喜びと、これまでお寺が開かれていなかった一つの証拠を突きつけられた苦しさが同時にやってきた瞬間となりました。
2019年度の資料作成を通じて分かったことの一つは、お寺にある障害に気がつくには、たくさんの対話を通して障害のある方の視点を獲得することが不可欠だということです。そして、障害の解消は曹洞宗全体で同じことをやるというより、むしろ「××町の○○住職」が検討を重ね、積み重ねた工夫の数や多様性こそが障害解消の鍵になると考えています。
そして、2020年度の資料では、「供養の場づくりについて考えること」となりました。はじめは、見えない障害といわれる精神・知的・発達障害の方についての知識を深められるような資料を作成しようとしていました。しかし、資料作成委員として協力してくださっていた方から違う見解が提案されたのです。 医療や福祉といった専門職の方であれば、様々な障害の特性を理解し、一定の根拠を持つ専門家として判断していくことが求められますが、一般的には僧侶に求められることは稀です。むしろ不十分な知識で判断してしまう危険性が指摘されました。
さらに、障害者と出会わず知識や情報だけを得てしまえば、予断と偏見が強化されてしまうこともあるということでした。
例えるならば、日本人に会ったことのない人が、日本についての書籍を拾い読みして日本人を学ぶようなものです。日本の東京では江戸の忍者が切腹していると信じている人がいるかもしれません。
これだけなら笑い話で済むかも知れませんが、見えない障害については、身体の状態はもちろん、社会からの偏見が大きな問題となっています。遠い他の国の話ではなく、今現在ある私たちの社会問題なのです。 人権本部は情報を増やすための資料よりも先に、障害に気がつくことのできる視点を獲得し、自分の日常を見直すきっかけになる資料を作成することとしました。
そして作成された2020年度資料は、見えない障害がある方の経験をもとにした映像資料と、当事者の声や差別解消に取り組む研究者や事業者の方々と作成した冊子資料となりました。
映像資料では、精神障害当事者会の方と撮影した、実際の葬儀を再現した映像とその解説を収録しているのですが、再現映像に僧侶はほとんど出演していません。特に障害のある方が困難に遭遇するシーンに至っては一切僧侶が出てきていません。
これまでの資料では障害のある方との対話が必要だと言ってきたのに、対話する相手と出会ってすらないのです。それは一体なぜだったのでしょうか。次回に続きます。
教区人権学習資料