宗務総長談話(旧統一教会をめぐる社会問題に関して)
昨年7月に起きた安倍元首相銃撃事件以降、旧統一教会をめぐる様ざまな問題が浮き彫りになる中で、現代社会における宗教の意味が改めて問い直されています。
教団による強引な献金・勧誘、社会的倫理・法律に反する活動、それにより二世信者や家族・親族が抱える経済的・精神的苦悩など、問題は多岐にわたりますが、本来、人びとの苦しみを救う存在であるはずの宗教が人びとを苦しめ、また社会の不安と不信を増幅させてしまっている現実に、怒りと悲しみを覚えます。被害に遭われた方に一刻も早く安寧の日が訪れる事を願ってやみません。
これまで宗教教団が起してきた社会問題は、教祖・教団への絶対的な帰依と、それを強制する脅迫的教義に基づいて、信者からの過度な搾取が行われたことが、要因となっているものが少なくありません。
曹洞宗でお釈迦さまの遺言として大切に読まれる『仏遺教経』には、信者から寄進を受ける心構えとして「蜂が花の蜜だけを頂いて花そのものを損なわないように」と示されています。献金や献身によって信者の生活が破綻するようなあり方は、厳に否定されるべきです。
また「霊感商法」と呼ばれる高額な商品の販売も、祟りや霊障など宗教的な恫喝や脅迫によって行われることに大きな問題があります。ご供養は「しなければ祟り障りがある」からではなく、「感謝や報恩、また更なる安寧を願う想い」で行われるべきものですし、祈祷や祈願は「しなければ災いが起こる」と脅されてではなく、「誓願や祈りを神仏に後押しして頂く」ことを願って行われるべきものです。
宗教教団が信者の喜捨(金銭的支援)によって支えられ運営されることは、宗教がもつ本質的な立ち位置であり、釈尊以来の仏教教団も同様に、信者に支えられ維持されてきた歴史があります。しかしそれは同時に「常に喜捨に値する存在である」という両面性によって成り立つものであり、人びとの不安や苦悩に寄り添い、教えを通じて導き、「抜苦与楽」の役割を果たしてこそ成り立つものでもあります。私たち宗教者は今こそ、自身の役割を再認識し、誠実に、丁寧につとめていかなければならないのだと感じます。 私たちは仏事供養や社会活動など様ざまな場面の中で、関わる人びとの人生の大切な瞬間に「あの教えに出会えて良かった」「あの宗派の信者で良かった」と言っていただける機会を少しでも増やせるように、多くの方の声に心の耳を澄まし、社会の中で共に歩んでいける存在でありたいと願い、それを行いにつなげてまいります。
曹洞宗宗務庁
宗務総長 服部秀世
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