【International】南アメリカ国際布教総監部管内 ペルー共和国 泰平山慈恩寺110周年記念法会
泰平山慈恩寺は、ペルーの日系人コミュニティによって護持されている南米最古の仏教寺院であり、本年、開創から110周年を迎えました。
8月20日、ペルーを中心に、アルゼンチン、コロンビア、ブラジルからも宗侶が集い、早朝よりサン・ビセンテ、カサブランカ両日系人墓地の慰霊碑前において、慈恩寺の歴代住職と日系移民の祖先に対し供養を行いました。在ペルー日本国大使館やペルー日系人協会をはじめとするペルー日系諸団体の関係者や日系人学校の生徒らも参列し、ともに先人に対して供養の香を焚きました。その後、場所を慈恩寺に移し、慈恩寺開創110周年の法要と、盂蘭盆会にちなみ先祖供養法会を修行しました。裏千家淡交会ペルー協会による献茶式の後、南米国際布教110周年を記念して曹洞宗より寄贈された大梵鐘の音が境内に響き渡り、法要のはじまりを告げました。
梅花講による詠讃歌奉詠のなか、上野泰庵師の名を冠した小学校の生徒らが献灯、献華を行い、事前に配布されていた経本を手に、一同で読経しました。法要後には、これまで慈恩寺の護持にご尽力されたペルー日系人協会、カニエテ日系人協会をはじめ各日系諸団体に曹洞宗より感謝状が授与されました。
昼餐会では、婦人部特製のお寿司などの和食と地元ペルーの料理が振る舞われ、地域の日系人や住民ら、総勢200名以上が参加した大行事は盛大に円成いたしました。
ここ慈恩寺の須弥壇裏には位牌堂があり、幾千、幾万の位牌がお祀りされています。行事の後、多くの方が自分の先祖の位牌に向かい、静かに手を合わせる姿が印象的でした。戒名のある位牌がほとんどですが、なかには俗名の位牌、また子どもや若くして亡くなった方の位牌も多数あり、当時の状況がどれほど過酷なものであったかは想像に難くありません。そうした状況にあった、遠く日本を離れて暮らす移民の方々にとって、近くにあるお寺は、どれほど心の休まる場であったことでしょう。
慈恩寺の歴史は、1899年から始まった日本からの移民の歴史とともにあります。上野泰庵師は最初の移民到着から四年後の1903年、第2回目の移民船に乗りペルーへと渡りました。慣れない環境での労働は過酷を極めました。上野師自身も手ずから農作業に従事するなか、折を見て坐禅会や葬送儀礼などを行っていたそうです。
そんな中、上野師の熱意と移民の並々ならぬ協力のもと、ついに1907年にカニエテ郡にあるサンタ・バーバラ耕地において南アメリカで最初の仏教寺院である慈恩寺は開創されました。また、翌年には慈恩寺の隣に日本人移住者の子弟のため、日本人学校を開校し、教壇にも立ちました。
上野師は、1917年に後任がペルーに到着するまでの一四年間にわたる布教活動を経て、日本に戻られました。上野師のあと、斎藤仙峰師、押尾道雄師、佐藤賢隆師、中尾證道師らの手により慈恩寺における法灯は護持されましたが、第2次世界大戦が始まり、ペルーも日本に宣戦布告したため、曹洞宗の布教は一時中断されました。
戦後、曹洞宗は南米での布教に力をいれ、1961年、現地出身の清広亮光師を慈恩寺復興主任に任命しました。清広師が在任中の1974年には地震が発生し、当時カニエテ郡サン・ルイス町にあった慈恩寺が倒壊すると、現地の日系人たちは慈恩寺再建委員会を発足させました。日本人の伝統的な風習、文化を維持することを第一の目的とし、日系諸団体や多くの日系人家族の寄付により再建され、慈恩寺は1977年に現在のサン・ビセンテ・カニエテ町に移転しました。
2000年、日本人ペルー移住100周年記念慰霊法要が行われた際には、時の大竹明彦宗務総長、三好晃一南アメリカ国際布教総監をはじめとする一行が慈恩寺での慰霊法要を行いました。
2005年には日系アルゼンチン人の大城慈仙師が南アメリカ国際布教師に任命、ペルーに赴任し、現在慈恩寺で布教活動に従事しております。
南米大陸に曹洞宗の教えが伝わり、110年以上の時が経ちました。南米別院と総監部のあるブラジルをはじめ、今では曹洞宗の教えを広めようと南米各地で宗侶が活動しています。
当初、移民とともにその歴史を刻んできた慈恩寺は、日系移民の聖地として、また南米の曹洞宗の礎として、今後も我々の活動を見守り続け、また篤く護られていくことでしょう。
(南アメリカ国際布教総監部記)