【International】南米別院に赴任し2年を経て思うこと
本年開かれたリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックも大成功のうちに終わり、開催前は汚職や不景気、伝染病や治安の悪さといった暗い話題ばかりであったブラジルにも明るい兆しが見え始めた感がある。
印象的であったのがブラジル代表選手の多様な出自だ。ブラジルが人種のるつぼで乳水和合しているかの如くみえる。
しかし、未だれっきとした社会階層が存在し、貧困や差別に苦しむ人も少なくない。
私の常住している佛心寺界隈のリベルダーデ地区はかつて日系人が多く商店や飲食店を営む街であったが、現在は中国系、韓国系の住民が増え東洋人街となっており、土日だけでなく平日も賑わいをみせるサンパウロ屈指の観光スポットである。一方お寺の坂を500メートル程下れば、ハイチやナイジェリアなどからの難民が住んでいる地区があり、お世辞にも良い生活をしているとは言えず、住民以外はあまり近づかない。
私がブラジルで出会った人は明るく陽気であったり、親切であったり、感じの良い人ばかりだ。しかし、政界、経済界には汚職を行う人がいる一方で、かたや今食べるものに困っている人が多勢いる状況を目の当たりにする日々。自分が不自由なく僧侶として奉職させていただけることに感謝しつつも、何一つとして変わらない現状に悲憤慷慨し、自身の未熟さを痛感する。
昨年末、パラグアイでの寺院落慶法要の際に、サンパウロの信者さんと共にバスで向かった。多くの仏具等を運んだそのバスは、深夜サンパウロ州の隣パラナ州を走行中に突然停車した。すると「ドンドン」という扉をこじ開ける音と共に銃で武装した集団が侵入してきた。
扉の横に乗車していた私はあっけにとられた。犯人に言われるがままに手を頭の後ろで組み、バスの2階部に全員押しやられた。その後バスは高速道路から離れ、トウモロコシ畑に停車すると、女性は車内に残され、男性は外に出されそれぞれ金品を取られた。
どれくらいの犯行時間だったのだろうか。私はもちろん恐怖もあったが、彼らがどうして犯行に及んだのかということが頭にあった。小さな子どもも乗車していたが、犯人たちはその子らに対し水を飲ませるなど、気遣う素振りをみせていた。きっと、この犯人たちにも家族があり子どもがいたりするのではないか。もちろん強盗することは悪いことではあるが、生活が厳しく仕方なく犯行に及んだのかもしれない。そんな推測の域を出ないことを考えながら、命が助かっただけでも仏さまのご加護があったと安堵していた。
しかし、私は犯人にお金を渡しながらも、少しばかり残して隠し持っていた。悪いのは犯人ではあるが私自身も自分の所有物を完全に投げ出せなかったという罪悪感に苛まれた。こういう状況で釈尊や両祖さまならどうするだろうかと考えたが、そもそも僧侶であるので出すお金も何ももってなかっただろう。ただ悪いことはしてはいけない、とは言ったかもしれない。
いくら坐禅をし、いくら法話をし、いくら法要に精通し、いくらお経を唱えても、ぎりぎりのところで慈悲、慈愛の心が現れてくるかというのが、僧侶としての価値、本質ではないか。この場合、お金を渡すのが慈悲なのか、それとも諭すのが慈悲なのか、また別の方策があるのか、私にはわからない。つまり、私はまだまだ修行不足なのだ。
「僧侶は仕事ではなく生き様である。己の一挙手一投足で身業説法し、己のことばで口業説法し、己のこころで意業説法せねばならない。見せつけるのではない。顔やお袈裟や指先などからにじみ出てくる、僧侶の全人格体より衆生を利益する、又はしていこうと発願する。」
この自分のノートに書いてある言葉のおかげで自暴自棄にはならずに済んでいる。
ブラジルだけでなく、南米にはこのように格差や貧困に苦しむ国や地域が、人々が多数存在する。また彼らを救おうと布教に修行に励む国際布教師、宗侶がいる。直接的な慈善活動はもちろん、日日の行持が報謝の正道であり、この一柱を慎んで放逸なることなく坐すことが利他救済になるのだという確信をもっていそしんでいる。さて私にその覚悟があるだろうか。
(南アメリカ国際布教師 田原良樹記)