【人権フォーラム】石川夫妻の幸せを願う宗教者の集い ―願いと祈りの集会―参加報告
狭山事件は、部落差別に基づく冤罪事件であり、本年は石川一雄さんが不当逮捕され53年、東京高等裁判所の寺尾正二裁判長による無期懲役判決・狭山差別裁判(1974年10月31日)から42年となる。石川さんは長きにわたり無実を叫び続けており、一日も早く冤罪を晴らさねばならない。
宗教者としての力を結集すべく、昨年10月28日、東京都港区愛宕の真言宗智山派別院真福寺において「同和問題に取り組む宗教教団連帯会議」(「同宗連」)が主催する「石川夫妻の幸せを願う宗教者の集い―願いと祈りの集会」が開催された。この集会は2013年5月以来、2回目の開催となる。
当日は「同宗連」に加盟する仏教、神道、キリスト教教団など19教団総勢123名が集い、狭山第三次再審に向けての声をさらに高め合った。
始めに石川一雄・早智子夫妻が入場され、場内は拍手に包まれた。石川夫妻を見守る大きな拍手は、なかなか鳴り止まない。再審への強い決意のようであった。
続いて、この事件によりいのちを奪われた被害者、被害者の親族も含めた複数の自死者への慰霊をこめて参加者全員で黙祷を捧げた。
その後、笹沼弘憲「同宗連」副議長(真言宗智山派)が開会の挨拶を述べた。
「われわれここに集う宗教者は教義や教団は違っても、この世に生きるすべての人々に幸せであれと願うものである。石川夫妻が無実を勝ち取り、心の平安を取り戻すため、ともに願い祈りを捧げたい」
挨拶の後、各宗派グループによる祈りとメッセージが神道、仏教、キリスト教の順番に行われた。
神道を代表した高野春樹氏(大本)は、祝詞と演舞を披露。仏教を代表して松岡順海「同宗連」事務局長(天台宗)がメッセージを奉読した。
「私たち仏教者にとって仏の言葉を広く伝え、仏祖の教えを守ることは一人一人の使命である。しかしその使命に反し、過去において部落差別を認める捻じ曲げられた思想が各教団の中に取り込まれてしまった。私たちは物事を正しく見、認識することを心掛け、仏祖の言葉、教えに立ち返らねばならない。
この事件を通して部落差別の実態、怖さ、やるせなさを実感した。部落差別の撤廃を実現せねばならず、一刻も早い再審によって石川さんの無実を証明し、見えない手錠を外さねばならない。これからも石川夫妻とともに再審実現のために尽力していく。
仏教者一同とともに、この事件によって亡くなられた被害者の方々の冥福と安寧を改めて祈念したい。第3次再審も正念場にかかり、77歳という年齢にも拘らず、精力的に活動されている石川夫妻を元気づけるため般若心経を読誦する」
その後一同は懴悔文、開経偈、般若心経並びに、回向文を読誦し、祈りを捧げた。
キリスト教を代表した渡邉泰男氏(日本カトリック教会)は聖書を引用し、石川さんにかけられた見えない手錠を外すための解放に向けたメッセージを奉読し、それぞれ宗教者独自のアピールを行った。
続いて石川夫妻が登壇し、再審への決意を語った。
「(石川一雄氏)32年間の獄中生活の中で看守との出会いがあり、8年間にわたり文字を教えてくれた。そのおかげで私は文字を取り戻すことができた。
皆さんの願いに込められているように、私たち夫婦だけでなくすべての人たちが幸せになることを思えば、戦争もなくなっていくはず。多くの人たちがこの集会に集まり、幸せを祈っていただいたことは万感の思いである。
狭山弁護団の取り組みにより、第3次再審に向け多くの証拠が開示された。弁護団は当初から『万年筆』は被害者のものではないことを裁判官に訴え続けてきたが、今回下山進鑑識鑑定人(前吉備国際大学副学長)による科学的な鑑定によって、万年筆が被害者のものではないことがさらに明らかになった。今度こそ、裁判官が鑑定人を証人尋問して、無罪判決が出ると期待している。
司法は『正義』でなければならず、必ず司法は真実を明らかにするという確信のもとで、53年間耐え抜いてきた。再審無罪を勝ち取るまで皆さんの力をいただきたい。裁判が始まれば100パーセント私の無実は明らかになる。一刻も早く裁判所の事実調べが始まることを願う」
「(石川早智子氏)2013年に初めて当集会を開いていただいたとき、宗教者一同が素晴らしい思いを私たちに届けてくれた。まさか、この集会が再度開かれるとは思っていなかった。
石川は24歳で別件逮捕され、32年間の獄中生活を強いられた。1994年12月21日に仮出獄し、現在77歳になる。一貫して『無実である』ことを叫び続けた人生であった。
不穏な出来事に巡り合ったが、彼は多くの人たちと出会い、長く皆さんに支援いただいている。一方で彼は、幸せな人生を送らせていただいていると思う。
私も被差別部落に生まれ、両親に『部落』であることを隠しなさい、と教えられ生きてきた。隠すことは本当に苦しいことであった。部落差別について学び、弟の結婚差別を経験する中で、この事件に出会った。
石川は、部落差別の結果、教育を十分に受けられず、ひらがなさえ満足に書けなかった。この事件に巻き込まれ、刑務所の中で看守と出会った。その看守は彼の無実を信じて『無実を明らかにするには文字を取り戻し、その文字を力にして多くの人たちに冤罪、無実を訴えなさい』と、彼に文字を教えた。そしてその文字を力にして、彼は多くの人たちに無実を訴えることができた。
『差別から逃げていても差別はなくならない、差別をなくすために立ち上がれ、冤罪を晴らすためにともに闘ってほしい』という彼の獄中からのメッセージを受け取ることができた。
獄中にありながら、必ず『真実は明らかになる』という力強いメッセージを多くの人たちに彼が届けていることに衝撃を受け、私は、『部落』を隠すという生き方から『隠さない』生き方に変えることができた。
彼は多くの人たちにメッセージを出して支援をいただくようになり、そのことが彼を元気で前向きにさせてくれる。
冤罪53年、77歳になった彼には今も見えない手錠がかけられている。その手錠を一日も早く外してほしい。昨年10月26日には、東京高等裁判所と東京高等検察庁に再審開始と全証拠開示を求めて要請行動を行った。事実調べと全証拠開示を求める大きな世論により、検察も隠しきれなくなっており、証拠が少しずつ出てきている。53年経過した今、一つの大きな証拠が開示され、昨年の8月22日に弁護団がその証拠を下山氏に鑑定いただいた。その鑑定は、『推測』や『可能性』という言葉があてはまらないほど見逃すことのできないものである。
もっと彼が心豊かに自由に生きられるように再審に向けて力を貸していただきたい」
その後、雨貝覚樹氏(高野山真言宗)より、集会宣言(※90貢別掲)が読み上げられ、参加者一同の拍手を持って採択とした。最後に根本昌廣「同宗連」副議長(立正佼成会)より閉会挨拶が述べられ、宗教者の集い―願いと祈りの集会を終了した。
集会後、各自日比谷野外音楽堂へ移動し、「狭山事件の再審を求める市民集会」に参加した。市民集会は「同宗連」、部落解放同盟、共闘、狭山住民の会など約3000人が参加する大規模の集会となった。石川夫妻のアピールに始まり、弁護団報告、基調提案、連帯アピールへと続き、鎌田慧氏(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長)が集会のまとめを行った。市民集会後、一同は日比谷野外音楽堂を出発し、東京駅近くの常盤橋公園までデモ行進し、この事件の再審開始を社会に広く訴えた。
本降りの雨が肌を刺すように冷たく感じられたが、一同の再審に向けての決意は熱をおびていた。その漲る決意は、司法を今にも揺るがすようであり、寒さも一気に吹き飛ぶようであった。
「万年筆は被害者のものではない」
この事件の重要証拠とされた「万年筆」には被害者が事件当日まで使っていたものとは違うインクが入っており、発見当初から「捏造」の疑いが強いと言われてきた。
これまで裁判所は「被害者が帰宅途中の郵便局でインクを入れ替えた」との推論で裁判のやり直しをしてこなかった。最近になってようやく被害者のインク瓶の写真が開示され、それをもとに弁護団が下山氏に鑑定を依頼したところ、インクを入れ替えれば元のインクの色が微量でも検出されるはずなのに、それがまったくないことが証明された。重要な証拠が捏造されたものであることが明らかになった今、裁判所は直ちに再審開始をすることが求められている。
請願署名はがき運動のご協力を
昨年4月に宗務所、管区教化センター、人権啓発相談員宛にお送りした東京高裁・東京高検宛ての請願署名はがきを複写し十分に活用いただくようあらためてお願いしたい。高裁・高検に宛てた請願署名はがきは、証拠開示を公正公平にするためのものであり、私たちの人権や尊厳が守られるためには、常に司法制度そのものが問い糾されなければならない。
石川さんのみならず私たちも冤罪被害にあう可能性があり、これは一人一人の問題である。そのことから分かるように、宗教者としては裁判所に対して速やかに事実調べ、証人尋問を行うよう、検察に対しては全証拠開示を行うように、粘り強く求めていかなければならない。
この事件を一人でも多くの人たちに伝えていくことはもちろん、事実調べと全証拠開示を求めていく世論をさらに大きくするため、皆さまの署名が再審の扉を開く力となる。切に協力を願うものです。
(人権擁護推進本部記)