【International】桑港寺開創90周年を迎えて
1914年にハワイのオアフ島ホノルルに両大本山布哇別院正法寺、そして1922年に北アメリカ初の曹洞宗寺院である両大本山北米別院禅宗寺をカリフォルニア州ロサンゼルスに開かれた磯部峰仙老師は、1922年、同じくカリフォルニア州サンフランシスコの日本町に日米山桑港寺を開創されました。
開創から90年が経過した2024年、桑港寺開創90周年記念慶讃法要を北アメリカ国際布教総監の秋葉玄吾老師を御導師に迎え、10月20日に厳修いたしました。本法要には、アメリカ各地から参列した諸老師に加え、桑港寺の歴代布教師をはじめ日本からも多数の御来駕を賜り、滞りなく挙行できましたことは、誠に無量の法悦でありました。
さらに、この記念すべき佳節に際し、小衲の初会結制行持を併せて修行することが叶いました。これもひとえに、御随喜いただいた諸老師はじめ、参列された桑港寺メンバー(檀信徒)、関係者の皆さま方のご支援の賜物であり、ここに改めて深甚なる謝意を表する次第です。
桑港寺は、磯部峰仙老師と当地に暮らす日本人移民有志によって創設されました。もとはユダヤ教の会堂だった建物を改装し、「サンフランシスコの寺」をそのまま漢訳した「桑港寺」と命名されて以来、90年にわたる歴史を紡いでまいりましたが、その道程は決して平坦なものではありませんでした。特に太平洋戦争時は、日米が敵対国となる中で、在米日本人・日系アメリカ人は強制収容所へ送られ、劣悪な環境下での生活を強いられました。それでも、当寺のメンバーは土地の所有権を守るべく送金を続け、戦後には活動を再開できたと聞き及んでいます。
1960年代には、鈴木俊隆老師が開教師(現在の国際布教師)として当寺に赴任され、当時の「ZENブーム」を牽引する中心的人物の一人となられました。しかし、戦時中の傷痕が癒えぬ檀信徒との間で齟齬が生じ、最終的に鈴木老師は参禅者を伴い当寺を離れ、サンフランシスコ禅センターを創設するに至りました。
そして、1984年に、当時の開教師およびメンバーの努力が実を結び、現在の日本風の伽藍が完成しました。現在では、三仏忌や盂蘭盆会、彼岸会などの日本仏教の伝統行事に加え、坐禅会や精進料理教室といった活動を通じて禅文化の普及に努めております。また、初詣やひなまつり、灯籠流し、七五三といった日本の文化や伝統を体験できる場として、地域社会に大きく貢献しております。
しかしながら近年、コロナ禍や物価高騰の影響でサンフランシスコ在住の日本人・日系人が減少し、メンバー数も減少の一途を辿っております。そのような状況下で迎えた90周年記念法要には、祝意のほかに2つの目的がございました。
はじめに、コロナ禍以降お寺への参詣が遠のいていたメンバーも含め、この度の慶事に多くの方に参集いただき、桑港寺が地域社会にとっていかに重要な場であるかを再認識し、メンバー同士の絆を深めること、そして2つ目が、物理的な距離が近いながらも、互いに活動していたサンフランシスコ禅センターとの関係を再構築し、より強固な関係を築くことでした。
今結制安居の首座は、この数年間、縁あって当山の行事の補佐をお願いしている、サンフランシスコ禅センターの前理事長のミグリオリ祖山師が務めています。
アメリカ国内における首座法戦式は、法問において随喜僧侶が即興で質問することが多く、首座も臨機応変に答えることから、日本と比べて和やかな雰囲気で修行されることが通例です。しかし、今回の首座法戦式では、日本国内で行われるような激しい問答を英訳して行うなど、日米が融合した形となり、祖山師の熱意により、荘厳な法要を執り行うことができました。
さらに、祖山師の呼びかけによってサンフランシスコ禅センターからも多数の随喜、参詣者が、桑港寺に足を運ぶ機会となり、本法要を通じて両者間の交流の深化が図られました。
準備段階から当日にかけて、桑港寺の中心メンバーがそれぞれの役割をまっとうし、尽力してくださいました。その結果、初めて法要に参加された方々からも感銘の声をいただき、桑港寺を支える新たな仲間が加わる契機となったことは、何よりの喜びです。
今般の90周年記念法要を通じ、先人たちが築き上げてきた歴史に思いを馳せつつ、桑港寺の未来に向けた新たな一歩を踏み出す機会となりました。
桑港寺がサンフランシスコを中心とする北カリフォルニアにおいて、日本文化と禅の精神を伝え、地域社会に貢献し続ける場であり続けるよう、これからも一心に精進してまいります。
北アメリカ国際布教師 黒瀧康之 記