梅花流詠讃歌【梅花照星に似たり】①
新しい年を迎え、今年一年の目標を掲げ、計画を立てた方もおられるでしょう。
私が住職を勤めるお寺では、毎年新春にあたり、客殿の床の間「雪裏梅華只一枝」の軸を掛けます。冬の厳しさに耐えてこそ、梅は香しい花を咲かせるという意味から、私たちが苦労を重ねてものごとを達成したり、実現したりすることにかけがえのない価値があり、確かな真実が目の前にあることを示すことばです。
よもすがら終日になす法の道
みなこの経の声とこころと
この「修証義御詠歌(伝心)」の歌詞は、「詠法華経(法華経を詠ず)」と題して詠まれた道元禅師和歌五首のうちの一首です。
本来、歌詞にある「この経」「法の道」は、『法華経』であり、また『法華経』をもとに説かれる私たちの行いです。
ただ、この和歌が示す「この経」「法の道」は、『修証義』に説かれる私たちの行いや生き方と受け止めるべきでしょう。
『修証義』第一章「総序」の冒頭には、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とあります。生老病死何であれ、様々な人生の問題に直面した時に、現実として自分の身に起こっている事実から逃げ出さず、真実に生かされている現実の中で、前向きに生きるという生き方が大切である、ということです。
年が改まり、私たちはまたひとつ歳を重ねますが、「いま」という時は一度しかありません。「雪裏の梅華」のことばと同じく、この御詠歌を一度きりの「いま」を思い、「いま」「ここ」を大切に生きる積み重ねの教えとしたいものです。
連載のタイトルを「梅花照星に似たり」としました。これは菅原道真が十一歳の時に詠んだ「月夜見梅花」(月夜に梅花を見る)という詩の二句目です。 花咲く梅は照らされる星に似ている、という意味で、この詩の梅花は梅の花を指しています。しかし、ここではこの梅花を梅花流詠讃歌に置き換え、天に輝く星が大地を照らすように、梅花流詠讃歌が私たちの心を照らし、心の支えになるものととらえ、曲の歌詞の意味合いを通して、私たちの生き方学としてともに学んでいくことといたします。
静岡県官長寺 住職 大田哲山