梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】㉔

2024.12.09

私達わたしたち梅花流詠讃歌ばいかりゅうえいさんかとおして、ただしい信仰しんこうきます。
私達わたしたち梅花流詠讃歌ばいかりゅうえいさんかとおして、なかよい生活せいかつをいたします
私達わたしたち梅花流詠讃歌ばいかりゅうえいさんかとおして、あかるいなかをつくります。

梅花流詠讃歌教典ばいかりゅうえいさんかきょうてん』の冒頭にある「おちかい」です。梅花流詠讃歌を学ぶ目的の全てと言ってよいでしょう。とても分かりやすく優れた教えです。

本来、仏教は簡単で明瞭めいりょうだったはずです。話を聞けば誰もが納得する内容だったに違いなかったと思うのです。ところがある時、一部の人たちが、明瞭な教えを難しくしてしまったように私は感じるのです。

無常の中で「どのように生きてゆくのか」に対する問題は伏せたまま、言葉のおりをかき回しているだけで、生き生きとした教えはいつしか知識の囲いの中に押し込められ、本来の意味から離れてしまったのではないのだろうかと思うこともあります。

「正しい信仰に生きます」とは、お釈迦さまや両祖さまの教えを理解し、実践することです。仏祖の教えに対し、一切のはからいを持たず、その教えを日々の生活の中に取り入れて、尊くて晴れ晴れと生きるのが目的です。

正しい信仰に寄り添って生活すると、きっと善人になるでしょう。周りの人からは「あの人は素敵だよね」と言われるようになります。善き人の住む家ではいさかいは少なくなり、その影響は周りにも及びます。それが「仲よい生活くらしをいたします」の実践です。仲よい生活くらしは、目標ではなく、結果として実現するのだと思います。家が良くなれば、地域が良くなる。地域が良くなれば、国が良くなり、世界が変わってゆくでしょう。「あかるいなかをつくります」という目的に至ることができるのです。 「おちかい」は、個々の「正しい信仰」によってのみ成就します。「おちかい」を道標みちしるべに生きてゆくことこそが、仏の教えにかなう生き方でしょう。

秋田県禅林寺 住職 山中律雄