【人権フォーラム】令和6年度第1回人権擁護推進主事研修会報告
2024年9月11日~13日にかけ、「部落差別問題」をテーマに人権擁護推進主事研修会が行われました。
研修会初日は、崇仁発信実行委員会ご協力のもと、京都市内の大規模被差別部落、崇仁地区の歴史と京都市立美術大学が移転してくるなど、大きく変わる街での現地学習を行いました。続いて、代表の藤尾まさよ氏より講演いただきました。
2日目は、奈良県御所市にある全国水平社創立の地に立つ水平社博物館にて、館長の駒井忠之氏の講演、博物館内の見学、周辺地域の現地学習を行いました。
3日目は、静岡大学名誉教授黒川みどり氏より「近代部落史」についての講演があり、明治政府が賤民身分を廃して以降、いかにして被差別身分の人々とそれ以外の人々とを分断するための思想や研究が作り出されてきたのか、近代以降の同和行政の歴史とあわせて詳細なお話をいただきました。
今回の人権フォーラムでは、研修会に参加した人権擁護推進主事の参加報告をご寄稿いただいております。
京都府宗務所 人権擁護推進主事 森屋徹全師
今回の人権擁護推進主事研修会は、全国でも最大規模の被差別部落(同和地区)である京都市崇仁地区と水平社発祥の地である奈良県御所市(水平社博物館)、2ヵ所の現地研修に併せ、3名の講師より、被差別部落出身としての経験談・水平社創立の思想と理念・近代部落史(歴史的、社会的に形成された人々の意識)、幅広い分野から、今もなお根深く残る部落差別について講演をいただきました。
この度の研修会は、私の地元開催であることから、崇仁地区の紹介(現地研修)、崇仁発信実行員会代表の藤尾まさよさんの講演について、報告させていただきます。
崇仁地区はJR京都駅の東側に隣接する好立地でありながら、日本の高度成長期の中でもインフラ整備が遅れ、社会の発展からも取り残され、住環境は長期に渡り劣悪でありました。1990年以降、住民活動が盛んになり、京都市はようやく住環境を徐々に改善して行くことになります。2017年、崇仁地区へ京都芸大のキャンパス移転が決まってから、学生や教職員らは、地域の文化や教育に貢献するために崇仁地区の住民との交流を重ね、共同研究も始まり、地区に伝わる文化が再評価される契機ともなり、2023年に京都芸大のキャンパス移転が完了し、住環境・道路拡張・景観が、大きな変貌を遂げることになります。このような地区住民と学生や教職員との共同による街づくりは、全国でも類を見ないと思います。
現地研修は再開発された崇仁地区を4ブロックに分け、1ゾーン・京都芸術大学(校舎の壁色には校舎が立つ前の崇仁地域のこの場所にあった色を再現)/2ゾーン・柳原銀行記念資料館(被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行)/3ゾーン・京都市立美術工芸高等学校(2023年開校、同和教育の源流地、京都米騒動の地〈軍隊による弾圧は日本初〉、崇仁浴場跡地)/4ゾーン・崇仁の名の由来と銭ぜに座ざ場跡(西光寺は崇仁地域の教育発祥の地)
この4ブロックをグループ別に回り、藤尾まさよさんと地元の案内人3名の方から、各ブロックの特徴・歴史・劣悪な住環境・住民の歩みなど、熱心にお話しいただき、再開発された景観からは連想できない当時の厳しい状況を想起できた有意義な現地研修でありました。
現地研修に引き続き、講演、「『このまちが好きだから』~被差別の歴史を持つ地域に生まれて~」と題して藤尾まさよさんから、自らの生い立ち、身をもった経験をつつみかくすことなくお話しいただきました。中でも特に印象に残る「崇仁発信の活動の契機について」取り上げさせていただきます。
「どんなに頑張ってもあかんのや」という15歳の子どもの言葉、何故たった15歳で人生をあきらめてしまう言葉を発したのか。
その子どもは崇仁地区内の中学校を卒業、地区外の高校に入学、同級生たちに出身中学を話した際、「○○中ってあのガラの悪い。アホばっかりの部落の学校やんけ」
地域内(中学校)から一歩出たら、どんなに頑張っても誰も自分を認めてもらえない。絶望感によって自死をも選択しかねない事態に、教員・保護者・地域住民・教育委員会が集まり話し合うことに。差別発言した子どもも差別意識を身につけて生まれてきたのではなく、差別意識を持たせ発言をさせたのは周りの大人であり、差別意識を助長させる環境とは何なのかを考えるとともに、差別を受ける側が部落差別とは何か学べているのか、人権学習を行っているのか、私たちが部落問題のことを全然知らないことに気付いた。
当時、中学校のPTA会長として、PTAの同和問題学習会を立ち上げ、同じ保護者が子どもの苦しんでいる姿を見て、一緒に勉強しようと多くの参加者があり、正しい知識を学び「知る」ことがいかに重要であるか、参加者と共有できたことが、活動の契機であったと、お話しいただきました。
今回の研修を振り返り、差別は曖昧な知識から生まれ、一度入った情報や知識は頭に残るということ、我々宗教者は人権問題に関する正しい知識を身につけ、差別を生まない社会実現に向けて、社会をリードする立場として求められることを自覚して行きましょう。
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愛知県第2宗務所 人権擁護推進主事 小原泰明師
わずかな時間とはいえ、実際に被差別部落へ訪れ、その空気を吸い、歴史を知り、私が直接に体験談をうかがうことができたことは、理不尽な差別を知る、その貴重な一歩となりました。理解する、というほどには、毫厘も進みませんが、こうした意義深い研修を準備してくださった講師はじめ関係の方々、また人権本部の方に深謝する次第です。
今回の主事研修会では、京都駅のすぐ東側に位置する崇仁地区と、奈良県御所市の水平社博物館とその周辺が会場となりました。
1日目は、集合してすぐに崇仁地区へ足を運びました。地区内を4ヵ所に分け、それぞれのグループでフィールドワークを行い、各ポイントでは、崇仁発信実行委員会の方々からお話をうかがいました。崇仁の名前の由来、運河・高瀬川(森鴎外の小説『高瀬舟』の舞台)の流れの変遷や、通りの歴史、豊富な資料を展示する柳原銀行記念資料館(被差別部落の人々によって設立)、また地区内にあるホルモンの天ぷらで有名なお店など、様々な情報を暑い中でうかがいました。光る汗を厭わず、懸命にお話しされていた姿が目に焼き付いています。
フィールドワーク後は、代表である藤尾まさよさんより、ご自身の生い立ちや人権問題にかかわるきっかけをうかがいました。特に印象に残ったことは、ご自身の身の上に起きた2つの出来事です。
1つは結婚差別です。多くは、パートナーのどちらかが被差別部落出身ということで引き起こされる差別ということは、皆さんもご存じかと思います。しかし、今回、藤尾さんの話では、同じ被差別部落同士の結婚でさえ、「部落出身者以外と結婚し、この地を離れて忘れてほしい」という両親の思いが、二人の仲を引き裂くことさえあることを知りました。
もう1つは仕事の面での差別です。藤尾さんは飲食店を開業され、軌道に乗って程なく、元同業者から自身の出自のことを吹聴され、とたんに、お客さんが離れてしまいました。結果、お店を閉めることを余儀なくされたそうです。
翌日2日目は、一路奈良へ。水平社博物館と周辺のフィールドワークでした。
何も知らずに訪れれば、小高い丘を背後に、麓にはこぢんまりしたお寺(浄土真宗本願寺派・西光寺)、門前には小川が流れ、のどかな風景に映るこの場所こそ、水平社発祥の地でありました。フィールドワークでは、差別事象が起きる度に鳴らされたと言われる、西光寺本堂の脇にある鐘や、設立の重要人物の生家跡をご案内いただきました。恬淡とした口ぶりを通してさえ、この地で生きた人々の苦しみが伝わるようでした。
博物館では、国際的にも有名な漫画『ONE PIECE』やブルーハーツの歌詞から引用した展示があり、差別事象を括弧に入れることなく、まさに我が事として受け止められるよう、工夫がなされていました。
この“自分事”は、個人的に今回の研修に通底するテーマであったと感じています。分からないかもしれない、しかし、分かろうとし続ける営みを、決して忘れてはならないと感じた研修会でした。
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本研修で黒川みどりさんよりご紹介いただいた『被差別部落へのまなざし―同和問題認識の近代史―』(静岡県人権・地域改善推進会静岡県人権啓発センター作成)を頂戴しております。各宗務所へ参考資料としてお送りしておりますのでお使いください。
令和6年度第2回人権擁護推進主事研修会は、来年3月下旬を予定しています。
人権擁護推進本部 記