梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】㉓
書店の店頭で手に取った雑誌に面白い文章が掲載されていました。「感謝をすると我欲がなくなり、幸せを実感できる研究」をしている人の話です。
我欲とは自分だけの利益を手に入れたいという欲望です。自分の利益を手放すのは惜しいし、欲望を捨てることが幸せに繋がるのか、疑問を持つ人もいるでしょう。
我欲には際限がなく、次から次へと欲望の連鎖が生まれ、いつまでたっても満ち足りた心を得ることができません。一方で、周りに感謝して生活すれば、自分に向けた気持ちが他者にも向けられるようになり、今の自分が多くの人に支えられていることに気が付くはずです。
人の幸せを素直に喜べないのは我欲のせいです。自分が手に入れたいと思っているものを、他者が手に入れると嫉妬心が生まれます。「自分の取り分が少なくなる」という気持ちがあるのかも知れませんが、しかし「幸せ」の総量に限度などありません。
仏教には、「慈悲喜捨」という言葉があります。「慈悲」とは、相手の幸せを願い、苦しみを和らげてあげようとする思いです。「喜捨」は、他者の幸せを喜ぶ気持ちであり、自分自身は幸せに執着しない平静な心を保つことです。仏教は「幸せに生きるための心の科学」と言われていますが、教えを学ぶというよりも、生活の中で実現するもの、つまりは実践のための心掛けの学びと言ってもいいでしょう。
梅花流には「四摂法御和讃」という曲があり、4つの思いやりの心が詠まれています。それは「布施・愛語・利行・同事」を言います。むさぼりを捨てる、優しい言葉掛け、他を利する心と行動、分け隔てのない気持ちの四つを指します。これらは、世の中の手本となる考えと行動であり、明るい世界を生み出す礎です。
私たちに関わりなく時は流れていきます。時間の概念の中で昨日があり、今日があり明日があります。無常の世界に身を置きながら、かがやく時間があるとすれば、それは思いやりの気持ちが生じる瞬間なのかも知れません。
秋田県禅林寺 住職 山中律雄