梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】㉒
生死流転の現世にも 心を澄まし爽やかに
今日の勤めを励みなば 菩提の月は宿るなり
あなたを信じ支えあい 希望を抱き進み行く
「道心利行御和讃」の三番の歌詞です。「生死流転」とは、生と死を繰り返しながら、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上)の世界を巡り続けることですが、この言葉にも「諸行無常」が意識されています。現世にわが身を置いている私たちは、仏の教えを学び、「今」の自分の勤めに励むことで、月の光のように清らかな仏の慈悲に包まれる、という意味になりましょう。
「生死流転」に似た熟語に「生生流転」があります。全てのものは生まれては変化し、移り変わっていくことを意味する言葉で、「生死流転」よりも「諸行無常」のニュアンスに近くなります。
私たちには「今」しかないのに、過去や未来にこだわって苦しんでいます。過去の嫌な出来事や予測不能の未来のことを考えて思い悩んでも仕方のないことです。過去や未来のことではなく「今」に専念することが大事だと思うのです。生きている時間を「いのち」と喩えるのであれば、人によって長短はありますが、最後に待ち受けているのは死だけです。出席を取るように自分の名前を呼ばれたら「はい」と答える以外に術はありません。
先日、読者の方からお便りをいただきました。「諸行無常」は悲しいことなのでしょうか、といった内容でした。「諸行無常」とは、「全てのものは移り変わり、変化してやむことがない」というだけのことです。そこには絶望や悲しみなどはありません。「出来るならば、いつまでもこの世にいたい」と願う人は少なくないと思いますが、これも欲望の一つと言っていいでしょう。「変わる」という事実を当たり前として受け止めた先に平穏があります。移り変わるなかにおいてはひたすらに「今」を生き抜くことだけを考えるべきなのでしょう。
秋田県禅林寺 住職 山中律雄