【International】ヨーロッパ研鑽①~不易流行を求め、修行の初心に戻った旅~前編

2024.08.19

曹洞宗では、本山僧堂、専門僧堂及び専門尼僧堂の掛搭僧を対象にした「僧堂掛搭僧海外研鑽」という、独自の教育プログラムを行っています。各僧堂は、行学の一環として当該僧堂に在籍する掛搭僧を派遣し、その受け入れ先である寺院や禅センター及び国際布教総監部との協議に基づき一定期間の研修を行うものです。

言語も文化も異なる海外において、同じ曹洞禅を志す仲間と過ごす日々は、日本と同じ行持であっても様々な気づきを得ることができます。海外での研鑽を終えた掛搭僧は後に各僧堂に戻り、現地での経験からその後の安居生活をさらに充実させ、他の安居者への刺激になることが期待されます。

また、滞在先である寺院・禅センターにとっても日本の僧堂で実際に安居している僧侶が滞在することは、良い刺激・経験になっているという報告を受けております。これまで男女国籍問わず、60人以上がこの制度を利用し、その中には現地での経験を活かし、国際布教に関わる道に進んだ方も多数輩出しております。

今般、曹洞宗洞松寺専門僧堂に在籍する堂島典明師が海外研鑽を終えて帰国されましたので、報告を掲載いたします。

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オランダ禅川寺の法堂で。禅川寺では、禅寺生活を体験できる行事ウィークという2泊3日のワークショップが毎月開催される。このときは6名が応募参加していた。

令和5(2023)年9月から3ヵ月間、欧州の寺院に滞在し、研鑽する機会をいただきました。ヨーロッパと日本の僧堂の修行は何が違うのだろう、あるべき修行の姿とは? そのような自分の疑問に、何か糸口が得られるのではないかと期待に胸を膨らませ、空港を飛び立ちました。

オランダの禅川寺に滞在した後、フランスの禅道尼苑での法要に参加させていただき、次にドイツの寂光寺、スイスのローザンヌ禅センターと光雪寺、最後にドイツの普門寺にお世話になりました。

この度の研鑽では、サンガの力とありがたさを改めて感じさせられました。各寺院での行じ方は、それぞれ少しずつ違いはありますが、大まかな一日の流れは共通しています。朝は、暁天坐禅、朝課は日本語でお唱えするところと、現地の言葉または英語でお唱えするところがあります。小食は、庫院で応量器を用いて行鉢をするところが多いようですが、僧堂内で行鉢する寺院もあるようです。そして作務へと続き、一日をこのようにサンガと共に行ずることは、自ずと自然に心が落ち着き、平和にしてくれるものです。

禅堂尼苑での現職研修会。瑩山禅師700回大遠忌の予修法要が行われ、ヨーロッパ中から多くの人が集まった。

また、提唱や講義などを通じて、より幅広い知識をつけていくことも自然に促されます。一緒に作務をすることも、充実感と連帯感が生まれ、サンガで修行をすることで、お互いの優しさが引き出され、また、自己を省みる契機を与えられます。摂心などで多くの人が集まることによって、自然と活気づき、世界各地にサンガが存在することは、より大きな助け合いのネットワークが生まれることであり、サンガの力が強まることであると感じました。

日々の行持が、日本の僧堂に準じて行われている一方で、相違点も多くありました。まず感じたことは、檀家制度があるか、無いかによる違いを大きく感じました。ヨーロッパのお寺の収入は、参禅に来る人たちによって支えられています。ヨーロッパの寺院で修行する場合、少なくとも、修行を始め年数の浅い人たちは、僧堂に献香料を収める必要があるようです。

ドイツ寂光寺での摂心。10月は3回の週末摂心があったが、それぞれ80名程度が参加した。長年参禅され、定期的に摂心に通われる方が多い。

日本の僧堂では、山門の外に出ることを許されませんが、一方でその生活はほぼすべて保証されているのに対し、ヨーロッパの寺院では、首座になった場合などを除いて外出を禁止されることはありません。しかし、生活の糧は自分で得る必要があります。日本では、集中して修行を行じられる環境を提供してもらえていたのだと、改めて有り難く感じました。

ローザンヌ禅センターの内部の様子。 商店街に位置する建物の階上の一室に禅堂がある。街中に位置しながら、中に入ると、とても静か。

また、ヨーロッパでは法事や葬儀を行うことは珍しく、法式をもっと勉強したいという声を多く聞きましたが、実際、坐禅に興味があってお寺に来る人の方が多数であることから、摂心は大切な修行であると同時に、各寺院の大切な収入源となっているという実情があるようです。

日本の僧堂では、法要や事務仕事に追われることもありますが、海外の寺院では自分の仕事を持っていなければならないですし、摂心の運営に追われることもあります。ただ、そうした両者の違いはあっても、禅の修行は、日常生活の全般にわたるものであり、単に静かに世間から離れて過ごすことではない、ということは共通しているかもしれません。

また、ヨーロッパでは修行における在家と出家の違いがあまり無いことも特徴でしょう。出家する場合は、その師の元で得度することに、強い思い入れがあるように見えました。しかし、在家の方もいろいろな配役、例えば朝課の堂行、維那、導師や、僧堂浄人などに、出家者と同じように参加します。僧堂の単や飯台の順番も、あまり厳格に決まっていない場合が多く、給仕なども、年齢に関係なく、助け合って行じていました。

スイスの山の中に建つ光雪寺。 ヨーロッパの寺は、和洋の組み合わせが意外ながら、美しい調和がある。この建物の裏には日本から輸送された立派な梵鐘がある。2階には畳が敷かれた法堂がある。

受戒や得度を受けることをそのお寺の住職が薦めることもありますが、多くの場合は、「自分がそうしたいと思ったとき」に、自分の師に許可を求めるケースが多いようです。また、受戒や得度の前には、自分の絡子や袈裟を自分で縫うのが一般的で、私の市販の絡子が大変珍しがられることもありました。

また、女性の参禅者、出家者も多く、また、カップルで修行をしている方、寺院で出会ってカップルになった方、或いはカップルで寺院に来た方もヨーロッパでは珍しくないようです。ヨーロッパと日本での修行道場のあり方は、違う部分も多く、何が正しく善い在り方か、白黒を簡単につけられるものではないと感じました。

フランスの禅道尼苑にはバーがあって、お酒を提供するということは聞き知ってはいましたが、実際に目にして驚きました。お酒も喫煙も、普通に受け入れられているようでした。海外では摂心がパーティ化しているという批判も耳にした一方で、楽しみながら、同時に強い菩提心をもって修行している方々に多くお会いし、 修行道場の在り方とは何なのだろうと考えさせられました。

山門を出ず修行に専心することと、外で働きながら修行すること。在家出家の違いがはっきりしていることと、在家出家がもっと対等であること。法要が多い差定か、坐禅中心の差定か。男女が一緒に修行すべきか否か、 カップルで修行に入ることの是非。現代において、何が不易流行なのか、多少なりともヨーロッパに行けばもう少し分かるのではないかと思っていましたが、実際にはより考えなければならない問いがたくさん出てきて、「分からなさ」も膨らんでしまった感があります。

ドイツ普門寺の法堂。普門寺は、古いホテルを改装して建てられた。この法堂は改装前はプールだった。ヨーロッパでは、古い建物(学校や宿泊施設)を買い取ってお寺とするところが多い。

しかし、分からないことは分からないままに、それぞれの寺院で一緒に行じている時に感じる、しっかりとした充実感、修行に身を委ねるように生きることが、答えなのかもしれないと思いました。何が理想的な修行なのだろうという問いへの答えを見失い、その代わりに、初心に戻ることの大切さ、修行そのものへの信頼を得た旅でした。

曹洞宗 洞松寺専門僧堂内 堂島典明 記