梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】⑳
子どものころ、体の弱かった私は小学5年生から6年生にかけて約半年間入院しました。自宅から病院までは約20キロメートル。今ならば自動車で30分ほどの距離ですが、当時はバスと電車を乗り継ぐ他に方法がありませんでした。幼かった私のために母は毎日のように見舞いにきてくれました。私は何度か子どもが亡くなる様子を目の当たりにしました。そうした特殊な環境の中で、私の顔を見て母は安堵し、私は母の顔を見て安心していたのです。
十数年前、亡くなった母の新盆に、私は境内で迎え火を焚きました。迎え火を焚くのは初めてで、なぜ迎え火を焚く気になったのかは覚えていません。星のない夜で、蠟燭の灯はわずかばかりの範囲を照らし、やわらかく、滲むように揺らいでいました。瞬きをくり返して灯る迎え火を見つめながら、ハッと気づいたことがありました。「供養」とは別離を新たにする儀式だと思ったのです。風が吹き始めたことをきっかけに迎え火を消しましたが、簡素で抽象的なるがゆえに、生々しい別れを感じたひとときでもありました。迎え火は、先祖に思いを馳せ、感謝する儀式であると実感したのです。
瞼をとじれば在りし日の 面影浮かぶみほとけを
法悦び迎えし盂蘭盆会 いのちの集い有難や
「盂蘭盆会御和讃」の一番の歌詞です。この歌詞を読むと、いつも母のことが思い浮かんできます。母は無常に従ってこの世から去っていきました。人は必ずこの世から去っていかなければなりません。この世に生まれ、身体を得た瞬間から、老いること、病むこと、死に向うことが運命づけられます。 生きるとは、体に時間を蓄えることですが、死とは、その蓄えた固有の時間を失うことです。身体がなければ、時間を蓄えることができません。それでは亡くなった人の時間は一体どこに消えてしまうのでしょうか。私の勝手な憶測ですが、おそらくは普遍的な宇宙の時間の中に回帰してゆくのだと思います。
秋田県禅林寺 住職 山中律雄