梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】⑮
私は4冊目の歌集に『仮象』という題名をつけました。仮象とは、現実のように見えながら、実際は存在しないものを例える言葉です。「飛行機の窓より見ればかがやきて仮象のごとく夜の街はあり」という歌からの命名です。空港から飛び立った飛行機の窓から見えた東京の景色で、光の溢れる夜の街はとても美しく、現実の世界ではないような感じがしました。
『仮象』の「あとがき」に「私が生まれる前のとてつもなく長い時間。そして私が死んだ後も果てしなく続いてゆく時間。絶対の主人公であるはずの自分がいなくなったとしても、何ひとつ変わることのない宇宙の営みからすれば、私の存在などはほんの一瞬の仮象に過ぎず、立場を逆にした時、身めぐりを移ろうものもまた仮象なのかも知れない」と書きました。
哲学として、思想として仏教を考えた時、それは死のためのものではありません。死後の人間の救済ではなく、生きている人間の救済と言えましょう。欲を捨てるのではなく、死を迎えるのでもない。本質的に全ては幻想だと理解した境地の先に、生き生きとした奇跡の生が待っていると教えています。
そよ吹く風に小鳥啼き 川の流れもささやくよ
季節の花はうつりゆき 愛しい人は今いずこ
「まごころに生きる」の歌詞です。この世に存在する全てのものは移ろいます。どんなに愛おしい人であっても、いつかは別れの時がやってきます。
「四苦」という言葉が示すように、死は苦しみですが、実はその苦しみが「生」に意味と輝きを与えてくれます。 死の意味を自覚することで、生き方が変わります。なぜならば、死は「先のことを考えて生きなさい」というメッセージといっても言い過ぎではありません。私たち人間は、今と、そして生まれてから今までの過去と、今から死ぬまでの未来が全てです。絶対避けられない死が待ち受けているからこそ、私たちはいきいきと生きてゆけるのかも知れません。
秋田県禅林寺 住職 山中律雄