「ミニマリストと禅僧との対話」(2)~放てば手に満てり
修行中は必要なモノだけで過ごすシンプルな生活だったのに、今はモノに振り回されている曹洞宗僧侶の乾が、モノを極限まで減らす生活を実践した佐々木さんに興味を持ち、対談する機会をいただきました。
前回は、ミニマリストの佐々木さんに曹洞宗の修行について説明し、僧堂にて坐禅を体験いただいたことをリポートしましたが、今回は、佐々木さんとの対談を通して、モノとの向き合い方を考えます。
■自分を形作る「モノ」?
乾 なぜ自分はモノに振り回されているんだろうという思いから、取材を申し込ませていただきました。
佐々木 すごく興味あります。なんでそうなったんでしょうね?
乾 修行中から現在に至るまでのことをいろいろと考えたんですが、人との比較の中でしか自分を確認できなかったのだと思い至りました。
佐々木 なるほど。
乾 正直なところ、修行中も、「これは本当に自分が望んだ人生だったのか」と迷いを抱えていました。自信をもって選んだと言い切れない自分に引け目を感じていて、そうした思いをモノで補おうとしていたのだろうと受け止めています。
佐々木 どのようなモノをお持ちだったんですか?
乾 洋服や雑貨などですね。自信の無さを補おうとか、自分の価値を伝える手段としてモノに頼っていた、今はそんな感じがします。歳を重ね、自分の環境や生活の重点が変わったこともあると思いますが、何かが重荷になっているような感覚はずっとあったので、本の内容は響きました。
佐々木 僕もまったく同じでしたね。でもモノを減らし終わった後も、ミニマリズムみたいなものも、どこかで終わるのではないかと誤解していた節があります。「ここまで減らしたから、これから何かモノを買い足すこと、増やしたり減らしたりすることはなくなるんじゃないか」と思いましたが、やはり環境が変わると必要なモノが生じるし、減ったり増えたりもしていて、終わりがない作業だなと思いますね。でも、素敵なモノを見ても欲しいと思わなくなったのは良かったです。モノが大好きで、もっと欲しいと思っていたけど、たくさんあっても管理できないし、管理できないと自分を責めてしまう人間だったんで。モノがたくさんあっても、管理できなくても何とも思わない人はそのままでいいと思います。
宇野 佐々木さんの本を読んで、ミニマリストと呼ばれる人たちが実現しようとしていることは、「自己肯定感をどう高めるか」なのだと思いました。乾さんの話を聞いていても、自己肯定感が低いところを穴埋めしようとして、ますます自己肯定感を下げているようなことって、結構あるんじゃないかと思うんですよね。
佐々木 ぼくの場合も、集めたモノで自己を表現し、自己肯定感を高めようとしていた側面が確かにあったと思います。ただ実際は、集めたモノをうまく管理できず、普段は部屋もとても汚れていて、自分を傷つけていました。曹洞宗ではトイレを使用するのも修行というお話でしたが、誰も見ていないと気が緩むというか、人が見ているときだけ取り繕うみたいなことはありますよね。外着は素敵でもクローゼットの中はぐちゃぐちゃとか。
宇野 それを見ている自分が、自己否定してしまうという。
佐々木 自分だけは本当の姿を知ってますからね。
■自然体のミニマリズム
宇野 ミニマリズムにリバウンドはないんですか?
佐々木 あまり反動はなかったんですが、ミニマリストになった後に、突然車やバイクを好きになったんですよ。ミニマリストを仕事にするんだったら絶対にそんなの好きにならない方が分かりやすくて良いんですが。「えー、自分はこんなものを好きになったんだ」みたいに自分でも驚く感じです。自分が何を好きになるのかは本当にわかりませんね。でも、ミニマリストだから本当に欲しいモノにも手を出さないというような、やせ我慢も違うと思ったので、そういうモノは買いました。
宇野 反応はどうだったんですか?
佐々木 周りのミニマリストは何も言いませんでしたが、SNSでは「やーい」みたいに言う人がやっぱりいましたね。
宇野 「この脱落者!」みたいな(笑)
佐々木 そうです。そういう反応が起こるだろうなと思っていたので、そうだよねって受け流せました(笑)
宇野 そこ、似ているなと思うところがあって。お坊さんって悪いこともずるいことも考えないし、しないよねって思われるんですが、常に自分を律することが出来ているわけじゃないし、期待されるお坊さん像と自分の趣味が異なることだってあるわけです。そうすると、何とかして折り合いをつけなくちゃいけない。本当に必要なモノは買うし、何も持ってない方が偉いわけじゃないという佐々木さんの折り合いのつけ方は豊かさが追求されているし、モノを減らしたときに豊かになったと本に書いてあったところに、とても共感しました。
佐々木 僕は、自分は本当に普通の人間だという認識があって、僕と同じようなことで困っている人がたくさんいるはずだという思いがありました。実際、いたと思うんですが。
乾 そのうちの一人です(笑) 何かを得ることや消費することが幸せだという社会意識があると思うのですが、そんなことないよねという点に共感しています。モノを持たない豊かさとか、そもそも人と比べる必要はないということが共通認識になったら良いですよね。
佐々木 こちらにに来るまでの東京の街並みで、高級な車や服などをたくさん見かけました。確かに素敵なんだけど、一部の人しか買えないし、買える人だけしか幸せになれないのかといったらそうじゃないと思うので、そういう価値観を少しは崩せたかなと思ってます。
■今、必要かを問う中で
乾 佐々木さんは、モノを捨てるにあたって、今これが本当に必要かを問い続けた結果、今にしかフォーカスがいかなくなって、未来への不安とか過去への後悔がなくなっていったんですよね?
佐々木 そのときは毎日のように持っているモノが今必要かどうかだけ考えていたんです。そうしたら自然と、未来と過去への思考がシャットダウンしちゃったんですよね。何千回、何万回と今のことばかり考えてモノを手放してたら、今日、この瞬間をどうするかってことしか考えられなくなって。
乾 反動はあるんですか?
佐々木 当時は集中的にやっていたからっていうのがあるんだと思います。だから今は、なんかよくないなと思いながら割と普通ですね。未来のことも心配します(笑)
宇野 肩から力が抜けてこなれた感じですか?
佐々木 力が抜けた部分はあると思います。こうしなきゃいけないと思ったわけじゃなくて、モノを手放していったら自然とそう感じられたみたいなことがよくあって。世の中にある自分のモノが100個ぐらいになったときに、浴びているシャワーの一粒一粒を感じたり、ただの普通のアパートで過ごす日常が聖なるものに感じたことがありました。トマトを買って、空いたパックはどこに行くんだろうとか、そもそもトマトはどこから来てどこに行くんだろうみたいなことを、目の前を通りすぎるモノが減ると自然に考えるようにもなりました。頭の中のモヤモヤが少なかったから考えられたことだと思うので、そういう経験が出来たのは良かったです。
宇野 集中しやすいですよね。よそ見しなくて済むというか。
佐々木 モノがたくさんあったら、そこまで想像力を使えなかったと思います。ある日アパートで寝てたら、屋根や壁があることにも感謝を感じるようになって、それも自然に思ったんですよね。
乾 著書に、「中道ミニマリスト」と名乗ってると書いてましたね。
佐々木 中道って仏教の言葉ですよね。やり過ぎないようにしようと思いながらも、今からみると結構行き過ぎていたなと思うこともあります。ただ、持ち物が100個ぐらいしかなかったとき、この地球上に自分が1人の生物として存在しているような感覚を持ったことがあって。その当時は、自分自身をただうろついてる「野良人」と呼んでたんです。のそのそと何にも持たずにただ動いている人間みたいな。行き過ぎていたかもしれませんが、そういう感覚を得られたのは、やって良かったことですね。
乾 今に焦点をあて続けた結果として日常に感謝があふれ、穏やかな生活の中に幸せを感じる日々って、素晴らしいなと思います。
佐々木 そうですね。1人だと本当に穏やかなんですが、1人で穏やかな生活をしてるのは果たしていいのか、と思ったりもしますね。ミニマリズムと習慣の2冊は、どちらかというとコントロールしようとしていた部分があって、自分の生活を調えていく中で、自分の思考を形にしてくことを念頭に置いてたんですが、今は、偶然性とか、人が運んできてくれるものの面白さとかを体験したいとも思ってます。
■放てば手に満てり
佐々木 そういえば、宇野さんの著書に「放てば手に満てり」っていう禅の言葉がありましたよね。あれは、手放すと満足するとか、残っているモノをよく思えるとか、感謝するとか、単純に考えていい言葉なんですか?
宇野 モノでもこだわりでも肩書でも、握っていることで満ちているとみんな思ってるけど、そういうのを放つことで満ちてくるものがあるんだよっていう意味です。
佐々木 当時この言葉を知っていたら、本に書いただろうなと思います。
乾 手放すことで楽になったり、人と比べることなく、今生きていることをありがたく思えたり。そうありたいです。
佐々木 乾さんは、だんだんモノが増えていって、気づいたら嫌になってたんですか?
乾 モノを活かせていない罪悪感も含めて、モノが発する負のオーラみたいなのを、次第に感じるようになって。最近、一部を手放したらすっきりしました。
佐々木 すっきりしますよね。それぞれの人が、それぞれの人生を肯定できたら、もうそれでいいじゃないかと思います。
【乾の編集後記】
大切なことは「いま、ここ」にしかないはずなのに、自分の外に答えを求めて道に迷い、気づけば他人の芝生の青さばかり気にしている。佐々木さんの著書にある「一瞬で不幸になれる方法は自分を誰かと比べてみることだ。」という言葉が腑に落ちる。 禅の教えを生活に活かせていないことを恥じ入りつつ、次回に続きます。
佐々木典士さん初の著作『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は26カ国語へ翻訳、世界累計で80万部突破。習慣についての著書『ぼくたちは習慣で、できている。』は12カ国語へ翻訳されている。
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