梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】⑧
かつて上田三四二という歌人がいました。本業は医師でしたが、文学者としても高名でした。
上田は、43歳の時に癌に罹患します。その衝撃を『短歌一生』という本に書いていますので紹介します。
「……佐渡から帰って2日目の3月3日、癌研究所を訪ね、消化管の透視をした。……病根は結腸にあった。横行結腸が下行結腸に移る、その起始部のところに著しい狭窄のあるとわかったのは5月21日のことであった。「切りますか」の一語ですべてを了解して、病院を出て、帰りの路を大塚から電車に乗り、池袋で降り、乗り継ぎの間に、付き添ってきた妻とおそい昼食をデパートの食堂でしたためる間、私は心のうちで、「そうだったのか、やっぱりそうだったのか」と呟いていた。意外な、信じがたいことが起きてしまったことに動顛しながら、選ばれてしまったその運命を拒否するどんな根拠も見当たらなかった……」。
この文中で注目すべきは「選ばれてしまったその運命を拒否するどんな根拠も見当たらなかった」です。
一世の命いただきて 会うことかたき勝縁をば
夢幻となどかいううつつの形は消ゆるとも
うつろうものか合わす掌に契りて深き真心は
「追弔御和讃」の三番の歌詞です。私たちは縁によって生を得、この世に暮らしています。縁によって生じることですから、時々自分の力だけではどうにもならないことも起こります。それは仕方ないのですが、中には「全ては縁だから」と言って、生きる努力を諦めてしまう人もいます。だからこそ、私たちは無常の世の中の「勝縁」の意味を考える必要があります。
たまたまの縁によって私たちは人間に生まれてきました。『修証義』に「人身得ること難し、仏法値うこと希れなり」という一節があります。何百万種類、何千万種類とも言われる生物の中にあって、人間として生まれてきた喜びと、お釈迦さまの教えに巡り合えた幸運を噛みしめることが大切です。
秋田県禅林寺住職 山中律雄