梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】⑦
世の中は何にたとえん水鳥の
嘴振る露に宿る月影
道元禅師が作ったとされる歌の一つで、「無常」という題が付され、梅花流詠讃歌の「無常御詠歌」の歌詞になっています。
月の光に照らされる水面に浮ぶ水鳥が歌われていますが、その光景が美しいだけに、雰囲気に酔ってしまいそうな歌でもあります。
今であればカメラでのクローズアップも可能ですが、道元禅師は鎌倉時代の人ですから、肉眼だけでここまで水鳥の様子を見ることは出来なかったはずです。短歌の一作品として読めば、作為を感じますし、題がなければ鑑賞も成り立ちません。短歌の実作者であれば、そこが気になるという人もいるでしょう。
ただ、道元禅師には歌を作るという意識はあまりなく、みずからの教えを伝えるための手段として五七五七七の型を利用したに過ぎません。いわゆる「道歌」といったものの一つであり、「無常」という題を付すことで、間接的に内容を伝え、より強く無常の哀れを引き出すなど、なかなか用意周到な歌とも言えましょう。
この世の移ろいの速さ、人の命の果敢なさは何に喩うるべきものでありましょうか。それは水鳥の嘴の水滴に宿る月の光のようなもので、水鳥が頭を振れば、一瞬にして消え失せてしまう世界であり、命であることを示しています。しかしそれだけの解釈で終わってしまうと、道元禅師の言わんとする思いには至りません。あえて深読みをして、果敢ない人生をいかに生きるべきかというメッセージに置き換える必要があります。
死はいつかやってきます。明日かも知れないし、五十年後かも知れない。どちらでも構いません。私たちには今しかありません。いつ死んでもいいけれども、長生きをして奇跡の生を味わいたいと思ってもいい。死ぬことは嫌だと思っても、死ぬことに恐怖を感じる必要はない。そんなことよりも、この奇跡の生に目を向けて、たまたま生まれてきたこの朗らかな偶然に感謝して生きてゆくだけです。
秋田県禅林寺住職 山中律雄