梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】③
常ならぬ儚き栄華振り捨てて
亡き父母をとぶらわん
菩提の心奮いたち
雪の比叡に上らるる
「高祖承陽大師道元禅師修行御和讃」一番の歌詞です。
道元禅師は幼い時に両親を失い、母親の葬儀の際、香煙の立ち昇る様子をみて、無常を感じ出家したと言い伝えられています。
それでは無常とはどういうものなのでしょうか。無常とは、この世に存在する全てのものが移り変わってゆく現象を言います。全てのものの命には終りがあります。生き物や植物、或いは建物のような構造物でさえ必ず変化していきます。桜を例にとって言えば、春には花が咲き、花が終わると新芽を吹いて、ほどなく美しい新緑に変わります。夏は青葉が茂り、秋には燃えたつばかりの紅葉となり、やがては全て散り果てて沈黙の冬を迎えます。誰もが目にする四季の移ろいです。季節が一巡した桜にはふたたび花が咲き、夏は青葉が茂り、一見変化などないように見えますが、桜は一年前のものとは異なります。頑丈に作られたビルでさえ長い年月の間に少しずつ古びてゆきます。
人間も例外ではありません。たまたまの縁でこの世に生を受け、赤ん坊から子ども、青年、壮年と一歩も後戻りすることなく変化して、いずれこの世から消えてゆきます。ただし、人間という種は絶えません。誰かがこの世から消え去ったとしても、新たに誰かが生まれ、同じようなサイクルを歩み始めます。しかし、そこには全く同一の人間は存在しません。似たようなサイクルを繰り返しながら、時間は巻き戻ることなく、全てのものは移り変わります。これこそが無常です。そして無常は時間の中に組み込まれています。
全てのものに作用を及ぼし、何ものにも影響を受けないのが時間です。それなるが故に、時間に対する考え方が大事になります。そのことについては次回以降に考えてみたいと思います。
秋田県禅林寺住職 山中律雄