【International】僧侶として生きる

2023.02.08
大通Tom Wright師

1960年代、私はアフリカ系アメリカ人への公民権の適用と人種差別の解消を求めて、公民権運動(CivilRights Movement)に熱心に参加していました。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと何度もデモ活動に参加したこともあります。そのなかには後に「血の日曜日(Bloody Sunday)」として有名になる1965年3月7日の日曜日に行われた、アラバマ州セルマでのデモも含まれています。多くの犠牲者を出したセルマでのデモ活動中、私自身も地元警察官の発砲により負傷し、長期間の入院を余儀なくされました。当時の私は人種差別を見過ごすことはできませんでした。

同年の秋、退院した私は、ワシントンDCにあるアメリカン大学に復学し、毎日大学に通い勉学に励んでいました。一方で、次第にベトナム戦争に反対する活動にも参加するようになっていきました。そして、1967年8月、アメリカ軍によるベトナムの現地市民に対する行いに嫌気がさした私は、母国アメリカに見切りをつけ、日本に向かいました。宗教ビザで入国した私は、札幌にある教会で英語教師として二年間過ごしました。

そんなある日、日本人の友人に誘われて、坐禅会に参加することになったのです。当時坐禅とは何か知らなかった私は、興味本位で友人について行ったのですが、いつの間にか日曜日の早朝に札幌市に所在する中央寺の坐禅会に参加した後に、教会の日曜礼拝に参加するようになっていました。そして12月になり、中央寺の河村康雄老師から「摂心に参加してみないか」と声をかけられたのです。もちろん摂心とは何かわからなかったのですが、何やら面白そうだと思い参加してみることにしました。

摂心は京都にある安泰寺で5日間行われると聞いた私は札幌から車をヒッチハイクし、京都を目指しました。そして、安泰寺で当時住職を務めていた内山興正老師に出会うのです。

内山興正老師(左)との一枚

安泰寺での摂心は簡単なものではありませんでした。凍えるような寒さのなか、一炷50分の坐禅を1日に14炷。足の痛みは信じられないほどで、足を組んでいることもままなりません。痛みも次第に足の先から、膝、背中、肩と拡がっていきました。時々眠りに落ちることもありました。

しかし、そんな私を内山老師は決して叱ることなく、また姿勢を直すこともされませんでした。老師は「寝ずに摂心をやり遂げることは誰にもできない」と私を励まし続けてくださったのです。摂心を終えた私は、「二度とこんな場所には戻らない」と強く誓い、札幌に戻りました。

しかしながら、季節は夏へと移り、宗教ビザの有効期限が迫るころ、私は安泰寺に戻ることを決心していました。そのころ私は結婚していたのですが、安泰寺や近くのアパートで寝泊まりする生活を10年続けました。可能な限り摂心に参加し、内山老師の独参にも何度もうかがい、1年のほとんどを安泰寺で過ごしていました。そして1972年に息子を授かり、息子の面倒をみるため、他の修行僧とともに托鉢に行くことができなくなった私は、英語を教えることで生活費を賄っていました。

安泰寺での生活を送るなか、坐禅仲間のステーブ・イェニックと共に内山老師の書籍『生命の実物―坐禅の実際』の翻訳を行いました。初版の英題は“Approach to Zen”でしたが、その後何度も改訂を行い、現在は“Opening the Hand of Thought”として出版されております。

次に『人生料理の本』という本を、ジショウケリ・ワーナー師の助けを借りながら翻訳しました。英題は“How to CookYour Life”です。私は今でも内山老師の書物や詩の翻訳を続けております。

そして、1974年、安泰寺での生活を続けていた私に老師は「得度するつもりはないのか?」とお尋ねになりました。私は老師に「ただお坊さんになるために得度することには興味がありません。けれども得度することが坐禅を続ける助けになるのなら、得度には興味があります。」とお伝えしました。その答えに納得された老師は、同年7月に私の出家得度を行ってくださいました。

今となっては50年以上坐禅を続けていますが、安泰寺での生活、坐禅、托鉢、勉学が今でも私の生活の基盤です。安泰寺には檀家がありませんので、生活のためには托鉢を行わなければならなかったからです。

その後1976年、京都の龍谷大学に非常勤英語講師として雇われた私は、講師として働きながらも一人で托鉢を続け、後にインディアナ州で三心寺を開く奥村正博老師と坐禅を続けていました。そして1994年、正式に教授として大学に迎えていただきました。その後、ポートランドのヤギュウォ大学で仏教と只管打坐について教鞭をとりながら、第二次世界大戦中に強制収容所として使われた施設の研究を行っていました。

2010年に名誉教授として教壇から引退した後はハワイに生活拠点を移し、現在は坐禅を続けながら道元禅師や内山老師の書物の翻訳を行っております。

ハワイ国際布教総監部同籍 ライト大通師

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