【International】決断独りにあらず
「なぜ僧侶になる決断をしたのか」。そう聞かれることがある。得度して半世紀近くが過ぎた今、長年の修行の実践と体験からその質問に対する考察を試みる。
思い起こせば今の私があるのは、ひとえに最初の師匠ともいえる父との出会いのおかげである。父は、戦争と収容所の苦難の中、私の生来の志を励まし続けてくれた。父は、私に武器と弾薬、目的と智恵、そして判断力を与えてくれた。
私はカトリックの伝統の中で生まれ、好奇心旺盛だった。若い頃、私はカトリックの司祭に、イエスにはメソッドがあったのかを尋ねたことがある。司祭は「いいえ、イエスは食べ、飲み、排泄し、時にはいかがわしい人々とも交際したのです」と答えた。私はその答えにいささか拍子抜けしたが、とにかく貴重な答えとして記憶しておいた。実際に小学生の頃、司祭になりたいと思ったこともあった。
ところが、小学校最後の年のカテキズム注の授業でアダムとイブの話を聞いて、とてもがっかりしたのである。それ以前にも、寝室にある父の作った本棚の鉄の支柱を眺めながら、世界の鉄の埋蔵量について考えていたことを思い出す。そのとき、私はたまらなく不安で憂鬱になった。母や父がいつか自分のもとを去ることは分かっていたが、身の回りの物質にも同じような思いがあったのである。
1968年に2月、私はボローニャのスフェリステリオで開催された柔道のジュニアナショナル選手権で、練習を始めてわずか2年で優勝することができた。ミラノの武術学校「Bu-Sen」のカリスマ的指導者にチェーザレ・バリオリ(Cesare Barioli)氏がいる。それまで雲の上の人であった彼は、表彰台に上がった私に声をかけ唐突な質問をした。「それで、満足ですか?」と。まだ20歳にもなっていない私には、抽象的で実体のない、いわゆる宗教的なものを含め、教義やイデオロギーに頼る時代は過去のものに思えた。そして、まさにそのミラノの Bu-Sen で、「先生」と呼ばれるのが好きな禅僧に初めて出会ったのである。その人こそが弟子丸泰仙先生であった。60年代末に彼は、遠い国からシベリア鉄道の長い旅を経て、たった1つの坐蒲、たった1つの衣を持って、パリに到着し禅の布教を始めたのだ。
父が亡くなったのは、1971年のある月曜日の夕方だった。その2日後、私は弟子丸先生のもとへ行こうと思い立ち、パリへ旅立った。苦しみながらも、自分自身の道を歩み、一人前になる。それが父への恩返しだと思った。
いつしか私は柔道師範となり、自分の道場を開く一方で、都合がつく限り先生についていくよう熱心に努力していた。私は「道友」という名前と、道元禅師の『永平広録』にある次の言葉を先生からいただいた。
「一人発真起源 十方虚空発真起源」
先生は坐禅の提唱のとき、道元禅師の『永平清規』から弁道法を読み、訳し、解説され、その都度、新たな姿勢と態度を鍛錬する必要性を絶え間なく説いていた。また進歩の観念を排除した坐禅を、力強く呼びかけていた。自分の足で堂々と天空を見上げ、額が地面につくまでひれ伏すことができたとき、その人の中には、2つの性質が共存して内なる1つのものになるのだ、と説いた。先生にとって、帰還と欲望は身心脱落の復活として、完全に一体化したのである。そして毎回先生は、「道は目に見えない。人生の一挙手一投足が道なのだ」と自身の解説を読み返していたのである。ある日、私は坐禅道場で柱のようにしっかりと坐っていた。しかし、参加者の間にある種の混乱と混沌があることに気づいた。なんと、先生は突然、務めていた坐禅道場の地元の指導者を解任していたのであった。そして参加者の何人かが、そのことに驚き腹を立てたのか、先生の発言や文章を茶化しているのが見えた。その予想外の展開に驚きつつも、私は黙ってその斬新な不快感に付き合っていた。
しかし、同時に私は、先生に対して新しい好感、新しい信頼が芽生えつつあった。周りの意見を気にしないように見えるその姿に、密かに、親密な気持ちを抱いていた。強さと知恵を賞賛していた先生が、今や無防備にその弱さで私に驚きと魅力を与えていたのである。その弱さゆえに、損得を考えず、堂々とした歩みを進める、絶対的な男の強さを、私は評価したのである。先生は密かにそれに耐えておられたが、私にとっては、ある意味で高揚感があった。
そのような状況の中で、後日、私は先生につたない英語で俗世を離れる「出家得度」をお願いしたのであった。「いい決断だ。」そう先生は言ったのだった。
私の軌跡の中でまず何よりも重要なことは、伝統の流れの中にのみ認められる人生の新たな地平線を見せる出来事との直接的かつ個人的な出会いである。私に経典を与えたのは師と先生、サンガとの出会いであり、その逆ではなかった。私という信仰者は、理解するために信じなければならない。しかし同時に信じるために理解し、信仰をその知性の限界の中にとどめ、崇拝、儀式、典礼もまた理解の一形態であることを受け入れなければならないのだ。
私たちのサンガのモットーは“Recipe, utere, trade”つまり「受け取り、用い、伝える」ことである。受け継ぐことに敏感でなければ、今の自分はない。
注 カテキズム…キリスト教信仰を、洗礼または堅信礼志願者あるいは子どもたちに教えるための書物
正法山普伝寺住職 グアレスキー泰天 記