【人権フォーラム】取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち~(後編)
いま、なぜ、福島原発事故についてなのか?
前号で述べましたように、私は事故発災当時から、福島原発事故への関わりをもつ必要を強く意識し、実際に事故後数年間は関わりを持つこともできたのですが、ここしばらくは自分自身の事業や日々の暮らしに埋没し、福島との関わりは年々なくなってきた現実がありました。自分の中で、あれほど大切に関わりを持とうと思っていたことが、まさに「風化」してきていました。
そういった私の現実を繋いできてくれたのが、今回、登壇していただいた豊田直巳さんの映画「遺言~原発さえなければ」やコツコツと継続されてきている写真展なのです。日々、安全圏の中で安定した暮らし、表面的なマスメディアの情報だけしかなかったら、その「風化」した自身の意識から、あらためて関わりの在り方を考えよう、行動しようとはならなかったと思います。
未だ、自分自身が、どのような関わりを再構築することができるかはわからないところですが(また日々の中でなにもしない、できない状況になるかもしれませんが)、このセミナーの実施を通し、私自身が向き合う機会としていきたい、考えたいと思い取り組みました。
横軸での対話:鼎談より
後半の鼎談は、曹洞宗人権擁護推進本部の本多清寛さんの進行で、風雷社中の茂野俊哉さん、そして豊田直巳さんの三者で行われました。
この鼎談では、曹洞宗僧侶としての視点から本多さん、障害者支援の立ち位置から人権問題に関わっている茂野さんが、各々豊田さんとの意見交換を行いました。
本多さんからは、曹洞宗としての人権啓発資料、2022(令和4)年度人権学習資料『ここから~東日本大震災から10年~』に触れながら、豊田さんからは「原発事故被害の実害はまだある」ことを改めて重く捉える主旨の感想をいただきました。
人権本部の皆さんは、東日本大震災から10年という節目の年を取材し、曹洞宗というフィルターを通して、被災地で起きたこと、そこから何が積み重なったのか、我々はここから何をしていけばいいか、過去から現在、そして未来を考えるということで、資料映像を作成されています。そういったご縁があった上で本多さんを鼎談に招いたのですが、その冒頭でこのようなことを言っていました。
「我々、映像ができて、このまま学習が進められれば、福島はもちろん、日本における災害に関していろいろなことが生まれて欲しいと思っていました。けれど、豊田さんのお話をお聞きしていて『実害がまだある』と投げかけられたとき、ここからと言うことは、実は悠長なことでもあったのかもしれない、という気持ちが反省として生まれました。(中略)本当にその土地がもう一度蘇るように除染が行われているのかどうかの問いかけは、これからも考えなければいけないと思います。未だ、何をやっていいかは思いつきませんが、これが日本で行われていることなのだということを刻んでおきたいのです。飯舘村は私の後輩がいるところでもあり、後輩から話を聞いていたつもりだったのに、自分の現実にはなっていなかったのだなと、改めて気が付かせてもらいました」
また、曹洞宗が伝統教団であることを踏まえ、昔から教えを保持してきた自負と豊田さんの姿勢に通じるものを感じたのだそうです。本多さんは最近、自身の死後、次世代に移ったときに宗教法人曹洞宗がどうあったら良いのかを考えて仕事をするようになったといっていました。それはSDGsへの取り組みなどでも言われることで、次世代に何を残すのか、自分たちが積み重ねてきた行いに責任を持って取り組むことができるのか、そういった考え方と通じるものなのかもしれません。
豊田さんは「今を伝える」ということを目的に活動し始めたわけですが、段々と「伝えなければいけない」と使命感を帯びてきたことが本多さんにはしっくりきた、腑に落ちるところがあったのだといいます。続けてこのようなことを言っていました。
「我々の教えには正見というものがあり、それは今を事細かく見ることから始まる。それが苦しみの見方、この世の中の見方だと仏さまが教えてくださる。豊田さんは今というものをすごく解像度を上げて見たことで、伝えないといけないと考えるようになられた。『後世に伝える』というフレーズはよく言われるものではあるが、それを自分の体験から紡がれた実感ある言葉としてでてきたのはすごいと思う。そういったことをお聞きすると、自分は今いったい何をしているのか、情けなくは無いのかと反省してしまうんです」
風雷社中の茂野さんからは、風雷社中と福島原発事故とのこと、豊田さんの活動との関わりが話され、また、障害のある人の人権問題から権利という「ものさし」の必要性に触れ、福島の課題としても権利という問題は避けてとおれないと語られました。
「風雷社中で、特に障害者支援の場においての人権の概念を考えてみると、『権利が奪われている状態』というのは『自分たちにとって当たり前のことなのに、相手の方が障害者であったら当たり前ではないということが許容されている状態』になります。つまり、自分たちがふだん手にしていて、当たり前のようにできることが、障害がある人に対しては『あなたは障害があるからできなくていいですよね』とか、『あなたたちは障害があるから仕方がないですよね』と、そういうあり方がとてもとても許せないし、その中で苦闘してきた人たちと一緒に行動するというのが、我々のスタイルでした。
人権とか権利という言葉は、障害福祉の業界では非常に馴染みが薄い、というより、むしろ抵抗感がある言葉で、人権や権利というとそこから引いてしまうのが実態だったりする。十数年か前に、大田区の自立支援協議会の障害福祉サービス部会で、医療ケアの必要な人の課題を協議しました。胃ろうや経管栄養が必要な子どもは、他の子どもが普通に利用できる施設の利用を、悉く断られる状況がありました。そのとき、集まった委員は『医療ケアがある子どもを受け入れられる施設が、区に一つくらいあったらいいね』と話をしていたのですが、いや、それはおかしいと思った。医療ケアが必要であろうがなかろうが、同じだけの権利は皆が持っているでしょうと。医療ケアは地域の生活の場で受けられるべきであって、その権利を守ることが障害福祉でしょという話をしたら、役所の人から『石をなげるのはやめてください』と言われてしまった。それから僕は、障害福祉の業界では『権利』という言葉は、石を投げるのと同じなんだと思いました。
奪われていない人が奪われているものに気づくために、『権利』という視点でしか確認できない部分があると思っているんです。ある人には与えられているものが、こっちの人に与えられなくていいというのが、自然に暗黙のうちに認められている世界には権利という『ものさし』が必要だと思います。
福島についても、権利という『ものさし』を避けて通ると、どうしてあんなに人々が分断されているか、苦しそうなのかがわからなくなるのではないか。また、豊田さんと他のマスコミの人が同じ場で取材していて、同じものを見ていて、結果、豊田さんが映しているものを、他のマスコミは映さずに、違う画を映すのか、という問題も解けないのではと思っています」
鼎談の最後に豊田さんからは、本来は誰もが「加害者」であり「被害者」であるはずなのに、分断が進む社会の中で「わたしこそが被害者である」となり、そして「わたし」が(そこに根拠がなくとも)「わたしたち」となり、個人ではしない(できない)暴走が始まる。人権が「人の生きる尺度」であるならば、暴走を防ぎながら考える尺度になれたなら「かまえて、やりこめる議論ではない、コミュニティが作れるのではないだろうか? それが分断を乗り越えるヒントになると良いと思いました」とお話をいただきました。
豊田さんからの取材報告と、この鼎談を振り返り、改めて回復の難しい状況下にある人たちへの「差別」と、その問題に取り組むことの難しさ、そして重要さに立ち返りました。前編でも触れましたが、今年度のソーシャルクエストでは、八月と一二月に「福島と障害のある人たち」を取り上げていきます。これを新たな関わりの再スタートとしていきたいと思います。
【ソーシャルクエストと風雷社中について】
ここで「ONLINEセミナーソーシャルクエスト」に風雷社中がなぜ取り組むのかを書かせていただきます。
風雷社中は障害福祉サービス(居宅介護、ガイドヘルプ等)の実施を通し「障害のある人たちの人権の実現と差別の解消」への取り組みを中心に活動をしてきています。多くの人が享受する「人権」が、障害等を理由に制約される状況を変えていくには、直接的アプローチをもち実際にその制約を軽減していくことが必要であり、有効であると考えています。しかし、直接的なアプローチの効果は、局地的であり、社会に根強くある「特定の状況にある人の人権は制約されても良い」といった意識を変えていくには不十分でもあります。また、カテゴリーを超えた連携の構築も直接的なアプローチだけでは進んでいきません。
わたしたちの社会で生じている人権への不条理な制約=差別をなくしていくためには、障害、ジェンダー、貧困、子ども、高齢者などなど様々なカテゴリーの中にいる当事者や関係者が、横軸で繋がり、「すべての人の人権の実現」を共通の目標としていくことが必要だと考えています。障害のある人の人権の実現をだけに着目し行動しているだけでは、社会の中にある本質的な「差別の肯定」を変えていくことは難しいと思っています。
ソーシャルクエストでは、様々な社会的課題を取り上げ、その実施を通し、わたしたち自身が他のカテゴリーとの関わりをもち、緩やかで、小さな流れでしかなくてもコツコツと横軸での繋がりを作っていくことを考えています。そして、その緩やかで、小さな流れだけが、社会の本質を変えていく力をもつのだと期待しているのです。
風雷社中がソーシャルクエストを実施することで、様々な社会問題への興味や関心を風雷社中と関わりのある障害のある人と家族、その支援者に波及させていけると考えています。また同時に障害のある人への支援を主軸としている風雷社中が、様々な社会問題に触れ、他ジャンルの活動と連携をすることは、障害のある人の人権問題への関心を緩やかに広げていくことでもあると考えています。
- 情報保障~パソコン文字通訳
※パソコン文字通訳:講演者などが話している内容を、通訳者がパソコンを利用し内容を入力し、聞こえにくい不自由な方への情報保障を行うことを言います。
表示する方法は、スクリーンに投影する他、個人PCへの投影、プレイステーション・ポータブルなど、状況に応じます(ユビキタスHPより)。
障害のある人の支援に取り組む風雷社中が、その小さな流れの一つを担うことの意味として、企画へのUD(ユニバーサルデザイン)の導入があるとも考えています。今回のオンラインセミナーでは「パソコン文字通訳者会ユビキタス」の協力を得て、セミナー参加者への文字通訳を実施しました。聴覚障害などがあり音声情報では参加が難しい方への配慮として導入しました。
パソコン文字通訳は、特定の聴覚障害者の方だけに対応するのではなく、加齢性難聴の方をはじめ、文字による情報提供を希望する不特定のすべての方をサポートする情報保障です。その意味で、障害の有無を問わず基盤的に存在すべき、UD仕様の情報保障であるといえます。
今回も協力をいただいたユビキタスは文字通訳が障害の種別を超えて、いつでも、どこにでも、当たり前にあるサービスとして社会に浸透させるという願いをもって活動されているグループです。「ユビキタス(ubiquitous)」とは、「いたるところに存在する(遍在)」という意味とのことです。
今回、曹洞宗に後援をいただき、配信会場の提供をいただいたこと、鼎談での進行を曹洞宗僧侶である本多清寛さんに引き受けていただけたこと、ありがとうございました。このことも、カテゴリーを超えた連携や広がりにつながる大切なことと感じています。これからもまた、よろしくお願いいたします。
NPO法人風雷社中 理事長 中村和利