北アメリカ国際布教100周年連載企画~北アメリカ曹洞禅のこれまでの100年とこれからの100年~ 第11回「禅と出会い」
私はヨーク原浄と申します。31歳で、現在ワシントン州のオリンピア禅センター・良湖庵で活動しております。師匠はオレゴン州ユージーンの正法佛眼寺の住持であり北アメリカ国際布教師のマクマレン懷淨老師です。10数年前に出会って以来、正法佛眼寺は私の修行の原点でもあります。
私が禅と出会うことになった経緯は、奇妙かつ、滑稽なほどに幸運なものであったと感じています。価値ある人生を生きるとはどのようなことなのか思案しながら何かを求めていました。ちょうどそのとき、「ZEN」という言葉が私の周りでよく飛び交っていました。アメリカの文化においてZENは、冷静な性格やシンプルな美的感性を形容する言葉として、日々の生活のなかで使われています。多くの人は、それが仏教であるとは知りませんし、当時の私もそうでした。興味をそそられ図書館に行ってみると、ZENを題材とした何冊かの書籍を見つけました。
その書籍名は覚えていませんが、私の想像力を掻き立てた理念は覚えています。そこには、「意義ある人生は、自らの心と誠心誠意向き合うところから湧き出るものである」と書かれていました。極めて単純であると同時に、絶妙に難解さを秘めていました。驚くことに、禅を実践することで、真理・真実が人間の精神に宿ると述べられています。そして、すでにそれは、今この私たちの世界にあり、扉が開かれているということを知りました。あたかも、大宇宙が、私の目の前にモジモジ動くミミズのついた釣り針を垂らしているようで、馴染みのある水面の向う側にある未知なる運命の世界に釣り上げられるべく、食らいつきたい衝動に駆られたのです。
このようにして私の旅は始まりました。その夏、幼少期に過ごした街の近くのオレゴン州クラツカニーのグレートバウ禅モナストリー・大願禅寺で1ヵ月ほど過ごしました。そこで、当時通っていた大学のあるオレゴン州ユージーンのマクマレン老師について耳にしたのです。
大学に戻ってすぐマクマレン老師の正法佛眼寺を訪れ、参禅を始めました。そこで、すぐに老師が私の師であることを悟り、正法佛眼寺での修行が私の生活の中心となりました。そこから数年後、正法佛眼寺に移り、住み込みの修行をするようになりました。
大学を卒業した後、進路を決めるため、あえてお寺から離れて1年間生活をした後、老師は、得度をする候補生として私を受け入れることに同意をしてくださり、再び正法佛眼寺に移り住み、修行生活に専念し、1年後得度を受けました。
よく、どうして僧侶になったのかと尋ねられます。もちろん、理由はたくさんありますが、そのほとんどは、自分でもよくわかっていないというのが私の認識です。わかっていることは、禅の修行によって私の人生は救われたということです。
師匠が心血を注いで堅持してきた僧侶のあり方が、私にとって貴重な扉を開いてくれることとなりました。修行、勉学、そして利他行、師匠は誰に対しても「自分についてこい」と言ったことはありません。優しさと明快さを体現する師匠の修行が、私の前に再び現れた釣り針であり、ただ静かに水の中に垂れていました。師匠と無数の祖師方のご恩に報い、法灯を絶やさぬよう自分にできることを続けていけることに感謝しております。
正法佛眼寺で5年間徒弟として修行をさせていただく中で、師匠は弟子に対して、「いつか日本で修行をするように」と言われました。日本で修行を終え、師匠やその師匠、さらにその前の歴代の祖師がたが造形された炎によって、自らが形成されることの大切さを認識しました。
2019年、長崎県の晧台寺専門僧堂で齋藤芳寛堂長老師のご指導の下1年間、その後、新型コロナウイルス感染症が流行しだした頃、岡山県の洞松寺専門僧堂で鈴木聖道堂長老師のご指導の下、半年間安居しました。その後福井県小浜市の妙徳寺で古坂龍宏老師の下、2週間修行し、大本山永平寺でも数日間参禅をさせていただけたことも貴重な経験でした。
いずれの寺院も、暖かく受け入れてくださり、輪の中に入れていただきました。当時の経験の重要性を簡潔に言葉にするのは難しいのですが、あえて言うのであれば、それぞれの修行は異なりますが、根本にあるものは同じということでした。坐禅、勉学、そして読経。細かい点や具体的な体の動きなど、すべての事柄に注意をもって受け入れることの大切さを深く刻みこまれました。意識していようと無意識であろうと、自分の所作の一つひとつに、思いが自ずから現われることに気が付かされました。
ご葬儀の際にどのように参列者をご案内するか、どのようにお茶やお菓子をお出しするか、ご遺族とどのようにお位牌の受け渡しをするかなど具体的に教わったことを覚えています。どのような所作の中にも、深い思いを表し、振る舞いを豊かにし、心を洗練する修行をしました。僅かではありますが学ばせていただいたことを教え広め、日本にいる法友との強い関係をしっかりと保っていきたいと思っております。
その後、数ヵ月にわたって、オリンピア禅センター・良湖庵のカルニ映道北アメリカ国際布教師が退董の準備をされる中、修行・参禅指導の責任者の任に就きました。カルニ老師が築いてきた「良寛さん」の流れを汲む良湖庵は、簡素さと遊び心が表れています。近所の方が畑で育てたキュウリをお供えに持ってきてくださったり、子どもたちが良寛さんの茶室を模して作られたお堂の近くでチャンバラをして遊んでいたりしています。良湖庵は、5エーカー(約6100坪)の土地に建てられた家を改築して作られたものであり、大きな松の木々や樹齢300年のカエデの木陰に立っています。
小さな湖の畔のこの家は、もともと2家族のために作られたもので、少なくとも今後1年間は片側が私の家となり、反対側が住み込みの参禅者や摂心の参加者、ミーティング用のスペースや共同の調理用キッチンとして用いられます。地下にはオフィス、独参の部屋、小さな禅堂もあります。パンデミックにより中断された日常の予定も再開しています。このお寺の展望は、多くの禅センターと類似しているように感じます。それは日々参禅し、受け継がれた伝統を守り、慈愛と智慧を持って家族やコミュニティを育んでいくということです。
オリンピアに移り住み、近隣の住民の方々と顔見知りになってきましたが、どなたもがお寺を快く受けいれてくださっています。最初に隣の家にご挨拶した際、その家の7歳になる男の子に声を掛けました。「君はいいものをたくさん持っているね。ツリーハウス(秘密基地)にはたくさんのおもちゃがあって、いっしょに遊ぶお友だちもたくさんいて。最高だね!」彼は、ケチャップまみれのホットドッグにかぶりつき、それを飲み込みこう言いました。「そう? お兄ちゃんのところがこの辺で一番かっこいいと思うよ。みんな優しいし、かっこいい服着れるし、仏さまにお参りするところもいっぱいあるし。最高じゃん」私は驚き、そして少し考えてから「そうだね!言うとおりかもね!」というと、彼は、満足げに笑いました。
個人的な意見ですが、100年を経て北アメリカにおける曹洞禅が次なるステップを踏む期は熟していると思います。ここにいる私たちは、基盤を築いてきた日本と日系アメリカ人に恩があります。北アメリカでは、多くの寺院、禅センターや修行道場が存在し、二代目、三代目のアメリカ人の禅の指導者も増えてきています。目下、今日の課題は北アメリカで曹洞禅を今後もどのようにして開花させ、敷衍させていくことができるか想像力を働かせることが求められています。
それを達成するためには、日本人とアメリカ人の僧侶が共に修行し、活動をしていくことが必要不可欠であると感じています。その意味で、間もなく両大本山北米別院禅宗寺で執り行われる北アメリカ国際布教100周年を記念する授戒会は、そのような協力を示す素晴らしい機会です。両者がさまざまなかたちで洗練され活力を得る機会に満ちています。
自分の生き方や職業を通して、曹洞禅を広めていくために力を尽くしてまいる所存です。しかし、伝統というものは、自然に伝わっていくものであるとも感じます。道を一歩横にずれてみて、頂いたものを感謝して受け取ることに喜びを感じます。すると、そこには常に、誰かを向こう側へと釣り上げようと待っている釣り針が眩く垂らされていることに気が付きます。
さらなる発展を期して、北アメリカ国際布教100周年を心よりお祝い申し上げます。
北アメリカ国際布教総監部同籍 ヨーク原浄