梅花流ことはじめ【その21】梅花流オリジナル曲発表 権藤円立の参画
梅花流発足の頃、「梅花流は密厳流の分家だ」と揶揄する声があったそうです。たしかに音曲も曲譜も法具も指導
者もすべて密厳流のもので、歌詞だけが曹洞宗という状態でしたから、その声に当時の梅花流関係者は、なんとかし
なければという思いに駆られていました。
そんな梅花流に新風を呼び込むことになったのが、音楽家・権藤円立の参画でした。【その3】で触れたように、権藤は第二次世界大戦の前中後を通じた仏教音楽活動の主要メンバーのひとりでした。
音楽による社会教化を活動の指針とし、大阪を拠点とした後、東京に活動の場を移し、梅花流発足以前には駒澤大
学(旧曹洞宗大学)で音楽指導もしていました。昭和25年発行の「駒澤大學校歌」レコードは、権藤の独唱吹込
によるものです。
梅花流との出逢いは、昭和28年2月、箱根で釈尊霊場奉詠というご詠歌各流合同の催しにおいてでした。前年
に発足したばかりの曹洞宗梅花流関係者もここに参加し、役員として出席していた権藤に対して、梅花流側から曹
洞宗の新しいご詠歌活動への参画を依頼しました。これがきっかけとなり権藤は正式に梅花流顧問となったのです。
こうして同年7月には権藤作曲の「三宝御和讃」「無常御和讃」が発表されました。実質的な初めての梅花流オリ
ジナル曲が生まれたのです。とくに「三宝御和讃」は旧来のご詠歌のイメージを一新するような明るい曲調で、他流
からも称賛されました。さらに翌年以降、「月影」「浄心」「正法御和讃」「不滅」「高嶺」等続々と発表される権藤メロディーは多くの人々の心を捉え、愛唱されました。
その功績は曲の提供だけではありません。すでに音楽歌唱の指導者として豊かな実績がありましたので、発声法等
の基礎的な教授方法は、出来たばかりの梅花流講習の現場では頼もしいお手本となりました。仏教僧侶の集団であっ
た初期梅花流グループにとって、権藤の音楽教授者としての知見は大きな影響をあたえました。
権藤はたんに音楽の専門家と言うにとどまりませんでした。宮崎県の真宗大谷派寺院を生家とする権藤は、仏教音
楽においても「従来の仏教音楽は、歌詞だけは立派な仏讃の詞章であっても、これに伴ふ音楽が仏教の香りの乏しい
ものが多い。仏教音楽は仏教の中から生まれ、何人にも仏教の味を自然に感知されるやうなものでなくてはならな
い」(『現代仏教講座』第五巻、昭和三十年発行)と主張する、信仰面重視の人でした。
権藤との出逢いは、梅花流にとって曹洞宗独自のご詠歌として一歩を踏み出す大切なきっかけとなりました。同時
にこのご詠歌活動が仏教信仰を基礎としなければならないことを、音楽的な面からも意味づけてくれる大事な支えと
なったのです。
秋田県龍泉寺 佐藤俊晃