梅花流ことはじめ【その20】正法日本建設祈願全国各流奉詠讃仏大会
今回のタイトル、ずいぶんいかめしい名前だなと思った方もいるでしょう。じつはこれ、第1回全国奉詠大会の名称なのです。大会が開催されたのは昭和27年11月27日、大本山總持寺を会場としてのことでした。
すでに連載【5】でこの年、曹洞宗教団は新たな布教教化方針、「正法日本建設運動」を発表したことを述べました。大会の冠称にこれがあることでわかるように、奉詠大会の趣旨は正法日本建設は一日でも早く実現するようにとの祈願にあったのでした。
この時の大会に二十代のころ参加されたという寺島彦宗師に、お話しを伺いました。
この大会は現在のような梅花流の奉詠大会とは全く違うものでした。なにしろまだ梅花流ははじまったばかりで、曹洞宗の中ではまだまだ知られていなかったのです。ではどのような奉詠大会かと言うと、どんな流派でもよいから、ご詠歌を習得している曹洞宗関係者は、一堂に会して仏菩薩奉讃のご詠歌をお唱えしよう、という宗門の呼びかけに応じた参加者によって行われたものだったのです。寺島師は地元福島県に伝えられていたご詠歌をお唱えしました。また【19】で紹介した天野賢定師は密厳流ご詠歌をお唱えしました。他にも金剛流はじめ諸流のご詠歌や、各地方独自のご詠歌など多彩なものだったようです。「全国各流奉詠讃仏大会」とはそういう意味でした。
ところが大会はそれだけにとどまりませんでした。翌日は大会参加者を対象に、新しくできた梅花流の講習会となりました。さらにその翌日にははじめての梅花流検定会が行われ、前日の受講者が受検者となり、全員が五級師範に合格しました。
つまり宗門内のご詠歌におぼえのある者を集め、新設の梅花流を教えて、梅花流師範を養成するというカリキュラムが2泊3日の短期間で行われたのでした。今にして思えばかなり性急な感があります。しかしそれだけ当初の梅花流普及には熱が入っていたのでしょう。
ちなみにこの時の講習会講師はすべて真言宗の密厳流師範でした。続く検定会の検定委員も密厳流師範でした。受検者の一人、安田博道師は次のようにその時のようすを回顧しています。
(検定委員である密厳流師範の)鷲山先生、石川先生の奥さん方が机を並べて、横で聞いているわけです。紋付きで並んでずっと。(安田博道『歌声に仏まします』)
というものだったそうです。これがきっかけになって、合格者たちの間に、一日も早く曹洞宗僧侶が師範となり検定者となって、宗門人による宗門の梅花流にしなければという決意ができたということです。
秋田県龍泉寺 佐藤俊晃