梅花流ことはじめ【その19】高祖道元禅師七百回大遠忌

2022.07.06

いよいよ昭和27年4月、永平寺に於いて高祖道元禅師七百回大遠忌法会が開催されることとなりました。

『梅花流指導必携解説編(資料)』(改訂第四版)「梅花流年表」はこの時の記事を「高祖大師七百回大遠忌 大遠忌中、永久岳水、天野賢定、青木悦定の3名により山内放送」と記しているだけです。そこでもう少し詳しいようすを探ってみましょう。

『永平寺史』下巻を見ると、七百回大遠忌の準備会議や記念事業、正当時の法会差定等が詳しく記載されています。しかし梅花流のことは何も触れていません。おそらくこれは、山内放送でお唱えが流されたことは事実だけれど、公式の大遠忌事業の中では梅花流のことはあまり大きく扱われていなかったということではないでしょうか。

この時詠唱を担当した一人、天野師(福島県)が当日のことを回顧した記録があります。

随喜して2、3日すると、「詠歌に心得のある者、瑞雲閣の応接間に集合せよ」という放送があったので行ってみた。20人ほど集まっている中で、永久岳水先生がいろいろ世話をして、一人一人テストがあり、それに合格した。渡された教典は緑色の梅花流教典であった。音符は密厳流であったので、直ぐ詠唱出来た。紫雲、梅花、渓声、修証義、誕生、入寂、大遠忌、法灯とであった。何れも密厳で習得したものが多かったので、すぐ声になり、2、3日練習して山内放送をするようにと言われこれを承諾した。開枕少し前からこれを放送した。(天野著『梅の生涯』) 

天野師は早くから密厳流ご詠歌に親しんでいました。またここに見える永久師は、『正法眼蔵』研究を初めとする曹洞宗学に造詣の深い人でしたが、ご詠歌にも精通していたことがこの記事でわかります。

もう一人、久我尚寛師(愛知県)がこの山内放送に接した記録があります。

山内に御詠歌の声が聞こえるので「何流のご詠歌でしょう」と尋ねると「梅花流の詠歌です」と答えて下さったが、その時は宗門の篤志家が勝手に流派を名乗って唱えられるのだろうと考えて深く尋ねもしませんでした。(久我著「梅花流回顧録」『龍拈寺報』昭和35年3月)

久我師はこの後梅花流活動に参画することになりますが、この時はまだ梅花流の名前も知りませんでした。

こうして見ると、梅花流が七百回大遠忌をきっかけに始まったとは言うものの、まだまだその知名度は低かったようです。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

~梅花ことはじめバックナンバー~