【人権フォーラム】ウクライナ首都等の呼称の変更について考える

2022.06.03

ロシア連邦によるウクライナへの侵攻から3ヵ月が経ちました。刊行時点では情勢に大きな変化があるかもしれませんが、本稿の執筆時点ではロシアによる「戦争状態」の宣言については、なされていません。

しかしながらウクライナにおける人権を巡る現地住民への被害は、戦争と同等の極めて深刻な被害が伝えられています。

その状況を受け、曹洞宗では次の談話を発表しました。

ロシア連邦がウクライナに対する「全面的な侵攻」に踏み切りました。軍事施設を標的とするとしながら、首都キーウや東部ハルキウなどの戦闘において、民間人も含めた多くの人々の命が奪われたという報道もあります。

まずは、この惨禍によって命を落とされたすべての方がたへ、深く哀悼の誠を奉げ、大切な家族や友人を失った方、負傷された皆さまに、衷心よりお見舞い申し上げます。(後略)【全文はこちら】

3月1日付で発表された宗務総長談話の冒頭部分ですが、実はこの談話は4月に一部表記を変更したものになっています。文意に大きな変更があった訳ではありませんが、「首都キーウや東部ハルキウなどの戦闘において」の部分は、発表当初は「首都キエフや東部ハリコフなどの戦闘において」と表記していました。これは3月31日付で外務省が出した「ウクライナの首都等の呼称の変更」という報道発表に基づく文化庁からの周知依頼を曹洞宗が受けたことによる変更となります。

この呼称変更は「ウクライナの首都の呼称をロシア語からウクライナ語に変更」し「ロシアによる侵略を受け、日本政府としてウクライナ支援及びウクライナとの一層の連帯を示すための行動」であると外務省は説明しています。

しかしながらこの変更はロシアによる侵攻が始まってから議論が始まったというわけではなく、2019年7月には在日ウクライナ大使館が国号の呼称をウクライナ語を基にした「ウクライーナ」と表記すべきであるという問題提起をしました。その後の2019年9月、同大使館や外務省の代表者や国会議員、ウクライナ語専門家の参加を得て開催されたウクライナ研究会主催の「ウクライナの地名のカタカナ表記に関する有識者会議」の中で各地名のウクライナ語に基づいたカタカナ表記の議論がなされていました。

こうした旧ソビエト連邦の国家の呼称の変更では2015年に「グルジア」が「ジョージア」に変更されたことも記憶に新しいかもしれません。同じく今回の事態でよくその名を聞く国家である「ベラルーシ」もかつては「ベルロシア」あるいは「白ロシア」と呼ばれていましたが、ソ連崩壊直後の1991年にベラルーシ語を尊重した現在の呼称に改めています。ここで注意が必要なのは、それぞれの国の持つ母国語を尊重した結果の変更であり「ロシア語を禁じてしまおう」という考えでこれらの変更が行われたということではないということです。ロシア語で表記されたもののすべてを禁じてしまおうという考えは極端で不毛な言葉狩りにしかならないでしょう。

また、国家としてのロシアへの国際的な制裁と、個人への私的制裁を同一視してしまえばそれは単なる暴力にしかなり得ません。ロシア文化を毀損したり排除することがこの度の事態の解決につながるわけでもありません。国家としてのロシア連邦への態度と、個人としてのロシア人やロシア文化への態度とは分けて考える必要があるでしょう。

個人や集団に名を付け、そして呼ぼうとするとき、呼ばれた当事者がどう感じるかということに思いを致すことは、人権的にとても重要な感覚です。

戒名授与という「名付け」を行う立場にある僧侶自身が常に考えて来た事柄なのではないでしょうか。

かつて仏教界にもハンセン病を「業病」「天刑病」と呼び、障害者を「不具足」と呼んで差別に加担してきた過去がありました。その反省からも「障害はどこにあるのか」を昨年度までの教区人権学習で学んでまいりました。

人権や平和、環境の為に祈り、そして行動を起こそうとするそのとき、何気ない言葉の選択で誰かを傷つけてしまうことがないようにしたいものです。

(人権学習資料『ここから~東日本大震災から10年』 制作の現場から〈後編〉は来月号に掲載いたします)

人権擁護推進本部記