梅花流ことはじめ【その15】『梅花流詠歌和讃教典壱』成立

2022.03.01

新しくご詠歌講を起ち上げるために歌詞は制定されましたが問題は音曲でした。まったくゼロからの出発だったので、まずは先行する他流ご詠歌の音曲をもとにすることとなりました。そこで行われたのが各流詠讃歌の公聴会でした。【その1】で述べたように、当時すでに他流ご詠歌講は盛んに行われていました。曹洞宗では昭和26年10月に、宗務庁に大和流、金剛流、密厳流、菩提流、花園流等、各流の師範を招いて、宗務庁各部長、両本山代表、ほか関係者一同が各流ご詠歌の詠唱の聞き比べをしたのです。その結果、唱え方や作法において真言宗智山派・密厳流がふさわしいとされ、これが選ばれました。もっとも【その8〜10】で述べたように、静岡県・斯道会では密厳流師範の指導によって御詠歌研修を重ねていましたので、すでに曹洞宗にとって密厳流は親しい存在でした。

『梅花流詠歌和讃教典壱』目次

密厳流をベースにという方針が決まり、曹洞宗は密厳流遍照講本部長・石川隆淳いしかわりゅうじゅん師に、原案の決まっていた歌詞に譜づけを依頼しました。また尼僧団に対して密厳流御詠歌の修学者選定を依頼し、こうして選ばれたのが【その11〜12】で述べた3人の尼僧でした。流名については、正法流、芙蓉流、梅花流等の候補がありましたが、道元禅師の『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』に「梅花」の巻があり、また禅師には梅花ゆかりのエピソードがあること、瑩山けいざん禅師の『伝光録』にも梅花の語があることから、両祖にちなむ名称として「梅花流」に決まりました。昭和26年12月のことでした。このように曹洞宗と梅花がイメージづけられる背景には【その7】で述べた、熊澤禅師による「梅花禅」提唱が影響したとも考えられるでしょう。

こうして翌昭和27年1月に『梅花流詠歌和讃教典壱』が発行されました。出版披露を兼ねて、新教典収録曲の講習が「第一回梅花流講習会」と称して、大本山永平寺東京別院を会場に、高階瓏仙たかしなろうせん曹洞宗管長臨席のもと、講師に密厳流師範・石川隆淳師・鷲山浄隆わしやまじょうりゅう師・江連政雄えづれせいゆう師を迎えて開催されたのです。参加受講者は斯道会会員、すでに密厳流修学に取り組んでいた3人の尼僧始め46名でした。それぞれの御詠歌・御和讃の歌詞は曹洞宗のものでしたが、音曲はすべて密厳流のものでした。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃