北アメリカ国際布教100周年連載企画~北アメリカ曹洞禅のこれまでの100年とこれからの100年~ 第2回 両大本山北米別院禅宗寺 創立100周年
両大本山北米別院禅宗寺は今年創立100周年を迎えます。11月には北アメリカ国際布教100周年として記念授戒会ならびに慶讃法要を厳修いたしたく、山内・関係者一同準備を進めています。
禅宗寺はアメリカ西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルスのリトルトーキョーに位置しています。私が赴任した27年前は、あまり治安が良い場所ではありませんでしたが、現在はアートディストリクトの一部として、芸術的な地区となっています。
創立は1922年、1918年のスペイン風邪によるパンデミック発生の4年後でした。新型コロナウイルス感染症のパンデミックを考えると、現在と似たような状況です。開山は磯部峰仙師であり、ハワイの両大本山布哇別院である正法寺を開かれました。そして禅宗寺、サンフランシスコの桑港寺も開かれています。
1915年、サンフランシスコで開催された世界仏教大会への参加で現地を目にした可睡斎住職、日置黙仙老師(大本山永平寺六十六世)が、帰途ハワイで磯部師に米本土布教の急務の必要性を説かれました。そして、1922年5月、当時45歳の磯部師はハワイからロサンゼルスに渡り、その後、初代理事長となる長崎氏の居宅の2階を借りて『禅宗寺仮教会』の看板を掲げたのが同年7月15日。「曹洞宗北米教会」として正式に発足したのが11月20日となっています。これが宗門の北アメリカの地における開教(国際布教)の始まりとなりました。
当時はハワイへ入植した移民の多くが本土に移っていました。賃金が格段によかったためです。ロサンゼルス郡だけでも1900年に500人だった日系人が、1920年には2万人となっていました。
日系移民は日本を捨てて移民したわけではなく、大多数が出稼ぎで一旗あげて故郷に錦を飾るのが目標だったといわれていますが、それができた人はほんの一握りでありました。結果、多くの人は次の世代により良い生活、より良い未来を残すことを目標に懸命に働きました。それは、当時の日本にいては実現しない夢でした。それほど日本は貧しかったのでしょう。
また、同時期のアメリカは、日系移民に対する風当たりが猛烈に強くなってきた時期でした。勤勉で働き者の日系移民の急激な人口増加は、アメリカ人にとって脅威となり、日系移民が土地を買えなくなる法律や、アメリカ市民に帰化できない法律など、いわゆる排日差別法が次々と可決されました。
そのため、彼らはお互いに助け合わなければ生きていけない状況にありました。その拠り所が開教寺院であり、教育を受け英語ができる開教師が様々な問題解決にも奔走していました。そのようにして、信頼を得ながら心の支えとなる曹洞宗の教えを敷衍していったのでした。
明治初期、日本政府の移民政策に伴い、曹洞宗は海外布教に大きく力を入れました。樺太、満州、台湾、中国、南洋、ハワイ、北米、南米などに寺院・布教所を開き、世界に展開し成果を現していました。
しかしながら、その大半は第二次世界大戦を期に途絶えてしまっているのが実情です。禅宗寺は宗門の国際布教の一寺院に過ぎませんが、その歴史の一端を現在でも感じることができる貴重な寺院であると思います。
100年経った今、北アメリカの曹洞宗に登録されている特別寺院は30ヵ寺であり、登録されていない寺院や禅センターが200を超えると言われております。また、宗侶は300名以上であり、今後もさらに増えるでしょう。そして構成として、大半が非日系となっています。北アメリカの地理的広大さもあって、お互いに顔を合わせたことがない、または同じ曹洞宗であっても存在すら知ることがすでに難しくなっています。
禅宗寺創立後、苦難の末、念願の新開堂が竣工し、入仏開堂が行われました。そこで行われた行持は慶讃法要のほかに2つあり、一つは先人への感謝を込めた供養、そして生きる人々への血脈授与式でした。
100周年記念行事では、北アメリカの各地に広がった同じ曹洞宗のメンバーが原初の地に集い、人種、文化の壁を超えて5日間の授戒会を行います。ともに法を学び、戒を授かり、未来への礎になることを切に願います。
皆さまが、この歴史的行事に興味を持っていただけると幸甚です。また、参拝企画も用意されているようですので、ぜひご参加ください。
合掌
北アメリカ国際布教師両大本山北米別院禅宗寺 国際布教主任 小島秀明