梅花流ことはじめ【その14】歌詞の成立
「曹洞宗にご詠歌講を作ろう」、その発想が宗門の企画としていよいよ動き出しました。昭和26年6月、宗務庁社会部所管のもと、詠讃歌研究委員会が設置されました。まずは先行する各流ご詠歌講の運営や組織について調べました。また10月には御詠歌・御和讃の歌詞原案ができました。それは次のとおりです。
大聖釈迦牟尼如来御詠歌 『傘松道詠』
高祖承陽大師御詠歌 赤松月船作詞
太祖常済大師御詠歌 赤松月船作詞
承陽大師御詠歌(一・二) 『傘松道詠』
常済大師御詠歌(一・二) 『洞谷記』
大本山永平寺御詠歌(一) 『傘松道詠』
大本山永平寺御詠歌(二) 赤松月船作詞
大本山總持寺御詠歌(一) 赤松月船作詞
大本山總持寺御詠歌(二) 山田霊林作詞
高祖承陽大師・太祖常済大師誕生御和讃 堀口義一作詞
高祖承陽大師・太祖常済大師修行御和讃 堀口義一作詞
高祖承陽大師・太祖常済大師入寂御和讃 堀口義一作詞
修証義御和讃 大内青巒作詞
高祖大師大遠忌御和 讃赤松月船作詞
このように一仏両祖、両大本山、『修証義』の御詠歌・御和讃を基本としていました。またこの企画のそもそものきっかけである高祖大師大遠忌の御和讃もありました。それぞれの出典、作詞者を見てみましょう。道元禅師に関するものは江戸時代に編集された道元禅師和歌集『傘松道詠』から、瑩山禅師に関するものは禅師の著書『洞谷記』から採用されています。
大内青巒居士(1845〜1918)は『修証義』の起草者として知られていますが、大内自身の撰述した「修証義和讃」がありましたのでこれが採用されました。
赤松月船師(1897〜1997)は、それまでに複数の詩集や『禅十二講』(来馬琢道と共著)を発行し、文筆活動にすぐれ、また昭和25年には曹洞宗特派布教師となっていました。
山田霊林師(1889〜1979)は、曹洞宗学の研究者として知られ、大正時代には雑誌『禅の生活』編集主幹であり、また『禅学読本』、『新時代の禅』他多くの著作がありました。当時は駒澤大学教授でしたが、その後、駒澤大学総長、永平寺貫首となりました。
堀口義一師(1896〜1968)は、一時出版業に携わり、その後自らの編著に『実演説教講演全集』、『実演仏教童話全集』、『禅門逸話集』等がありました。
以上のように初めて作られる御詠歌・御和讃の作詞は、両祖ゆかりの和歌を中心に、当時宗門の第一線で活躍していた人たちに託されたのでした。
秋田県龍泉寺 佐藤俊晃