【人権フォーラム】世界人権宣言73周年記念東京集会参加レポート
昨年の12月6日、日本教育会館ホールで世界人権宣言73周年記念東京集会が開催された。
『世界人権宣言』とは、「基本的人権尊重の原則を定め、すべての人民とすべての国が達成すべき共通の基準」として1948年12月10日、第3回国際連合総会(パリ)において採択されたものである。
毎年国内では、12月4日から10日までを「人権週間」と定め、全国的に人権啓発の活動が広く行われ、各地で集会などが開催されている。
このたびの記念東京集会では、主催者・来賓挨拶の後、安田菜津紀氏(以下、安田氏)による講演が行われた。安田氏は東南アジア、中東、アフリカなどで難民や貧困問題について取材するフォトジャーナリストであり、東日本大震災以降は陸前高田市を中心に被災地を取材し続け、国内外で広く活動されている。
差別と人権
講演では、約2年間に渡る世界的なコロナ禍において差別や分断が浮き彫りになったことを話された。具体的な例として「水際対策に国籍という線引き」「日本人オンリーを掲げる飲食店」「マスクを公的配布する際の朝鮮学校の除外」などが挙げられた。
筆者もコロナ禍において差別的なことが行われた報道、ネット上の書き込みによる「〇〇さんが感染したらしい」という噂、または特定。新型コロナに感染した子どもが学校等での差別を受ける、また感染した人が住む家に石を投げるといった行為などから、その土地から引っ越さざるを得なくなったという話も耳にした。このような話を聞くたびに悲しくなり、胸に突き刺さるものがあった。
本人の意思によって感染したわけではないのに差別的な扱いを受けるという構図は、生まれによって差別を受けるといった「差別と人権」を考えるうえでの典型的な構図に近しいともいえる。つまり、不当な差別に共通しているのは「差別している側が悪いことをしている自覚が足りなく、所詮他人事として捉えている点」だとも考えられる。
この意識を払拭する努力をしない限り、また別の差別が生まれてしまうだろう。
ウィシュマさんの事件について
次に、名古屋出入国在留管理局の収容施設で、昨年3月に亡くなられたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんの事件についてお話しされた。
この問題は、入国管理局の施設でウィシュマさんが亡くなり、国はその経緯や当局の対応などを記した最終報告書には、死亡の因果関係といった肝心な部分が触れられていないなど不明点が多い。報道での、遺族が「人間を人間として扱ってほしい」と涙されていた会見は忘れることはできない。
安田氏によると入国管理局の収容施設にて、2007年以降、17人が亡くなっているという。筆者が特に問題に感じたのは入国管理局職員の対応はどうであったか、「人権はしっかり守られていたのか」の点である。『世界人権宣言』の第二条には、
〔権利と自由の享有に関する無差別待遇〕
一、すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
二、さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
つまり、「いかなる事由による差別をも受けない」「いかなる差別もしてはならない」と宣言されている。
この条文を前提として、講演を振り返ってみると、報告書で公表されていない所に「不当な差別的取り扱いがなかったか」「人権が守られていなかったのではないか」という疑念を抱く。同時に、私たちは、普段知らないところで差別はしていないか、自分が相手の立場に立ったらどう思うだろうか。どこかの場面で人権を軽んじてはいないか、という思いが頭をよぎった。
ウィシュマさんの事件は、その講演をうかがう限り、不明な点や公表されず判然としない部分も多い。即ち、不当な取り扱いがなされていなかったか大いに疑問が残った。
シリア内戦についての取材
講演の中で安田氏は、内戦以前にシリアを訪れた際の写真を映し出した。市中の写真などは、とても魅力的な国に見えた。筆者を含め多くの日本人が抱いているであろう「中東=シリア=内戦」という、危険なイメージはまったく感じさせなかった。
安田氏がシリアを訪れた際の取材では、内戦の巻き添えを受け、片足を失う重傷を負った女児とその母親の話があった。
安田氏が日本に戻るとき、彼女らに「日本の人たちにどういうことを伝えたい」と尋ねたところ、返答は次のようであったという。
女児「私たち子どもたちは何も悪いことしてないよね。だからもうこんなことやめてほしいって、大きい人たちに伝えてほしいんだ」
母親「子どもにはね、政府軍なのか反政府軍なのかそれともそれ以外の勢力なのか、この戦争にどんな勢力が関わっているのかなんてわからない。関係ないから。だから、戦争を始めて自分たちのことを傷つけた人たちのことを大きい人たちと表現するしかなかった」
この親子の言葉を聞いているだけでも、とても胸が苦しくなる。
安田氏は次のように続けた。「大きい人たちって広く捉えると私たち大人のことですよね。私たち大人がなぜ、これを防ぐことができなかったんだろう。私たち大人がなぜ、これが世界のどこかで起きてしまうということを許してしまったのだろう」
内戦以前のシリア、内戦後のシリアを比較すると争いがいかに人権侵害を生んでいるかがわかった。現地で巻き添えに遭った人たちに直接取材を行っている安田氏の言葉は重い。
筆者自身は、中東などでの紛争や内戦を関係ないこととして、どこか他人事のように考えていたのではないか。
「戦争は最大の人権侵害である」という言葉があるが、まさにそれを感じさせる講演でもあった。
ヘイトスピーチによる差別
講演の締め括りとして安田氏は、自身の出自とヘイトスピーチ(特定の人種や民族への差別的言動)について話された。
幼い頃、父に絵本の読み聞かせをせがんだが、たどたどしく日本語を読むことに不満を感じ、心ない言葉を吐いてしまった。以来、父親は自身のことを語ることはなく、中学生のときに亡くなってしまった。高校生のときにパスポートが必要となり戸籍を取り寄せた。そのとき、初めて父が在日コリアンであることを知った。当時は、インターネットが家庭に普及し始めた時代、在日コリアンに対する「ヘイトスピーチ」を取り締まる法律などもなく、ネットでの暴言を見ても誰にも相談できなかった。
そして、2009年12月、京都朝鮮第一初級学校が3回に渡り「在特会」という集団より襲撃された。生徒・学校関係者はまるで「この世に生きるに値しない」かのような言葉を投げつけられた。安田氏は、父が自身を語らなかったのは、このような経験させたくなかったのではないか、と思ったという。
2016年に「ヘイトスピーチ解消法」が施行された後も、駅前・路上においてヘイトスピーチの街宣が止まずに公然と川崎や吉祥寺などで続けられている。また化粧品大手であるディーエイチシー(DHC)の会長が在日コリアンへの差別的文章を公式オンラインショップに掲載し、連携している自治体が協定解消の動きを見せた問題も記憶に新しい。
このように、今日でも国内ではヘイトスピーチが続けられているが、これらに対する禁止規定や罰則などは定められていない。
おわりに
今回、記念東京集会において安田氏による、自らの体験や取材に基づく、貴重な講演を聞かせていただいた。
差別は人為的に起こされるものといわれ、また差別を容易になくすのは困難であるともいわれる。しかし、差別や人権問題について広く深く学習し、思考を重ね、行動につなげることで差別や人権侵害をなくせるよう努めるべきだと考えた。
人権擁護推進本部記