梅花流ことはじめ【その10】永平高祖道元禅師御和讃
「永平高祖道元禅師御和讃」という御和讃をご存じでしょうか。現在の梅花流詠讃曲「高祖承陽大師道元禅師誕生御和讃」などとは違うものです。じつはこの御和讃は梅花流が始まる2年前の1950年の暮れにできました。
この曲が生まれたいきさつを今回はご紹介しましょう。大本山永平寺の機関誌『傘松』1951年1月1日号の「懸賞募集入選発表」という項目に、「さきに大遠忌事務局で七百回大遠忌記念懸賞募集を行った」旨が記されています。その結果「道元禅師和讃 一等 山梨県 北村大栄」とあります。つまり、大遠忌事務局では来たる七百回忌を記念して、道元禅師の御和讃を懸賞公募していたのでした。もと永平寺監院であった静岡県・洞慶院の丹羽仏庵師が、高祖七百回大遠忌を機に、曹洞宗にご詠歌講の創設を念願していたことは前回までに述べたとおりです。御和讃公募には丹羽師のはたらきかけもあったのではないかと想像されます。
「永平高祖道元禅師御和讃」は、第一段・降誕、第二段・得道、第三段・説法、第四段・涅槃の四部から成っています。御和讃の譜面奥付には「大遠忌事務局選・静岡斯道会修補」とありますので、北村師による和讃をもとに、斯道会が手を加えたものとわかります。
作曲は真言宗智山派は ・密厳流師範小河原玄光師でした。同師は後に密厳流第三代詠監となった人です。曲譜は密厳流のものでした。斯道会会員であった丹羽廉芳禅師や安田博道師の回顧の文章を見ると、実際に小河原師に作曲依頼をしたのは丹羽仏庵師であったことがわかります。斯道会での講習は、当初は小河原師が指南に来たようですが、それ以降は【その九】で紹介した、密厳流ご詠歌指導者・長岡昭臣師が指導していたものでしょう。
2014年11月、静岡県・法泉寺に、当時91歳の大島賢龍師を訪ねたことがあります。同師は斯道会発足時の会員でしたので、当時のことを教えていただこうと伺ったのです。年齢を感じさせないお元気で大きなお声の大島師は、お話の途中で「君は『たにのひびき』を知っているかね」と言い、次いで「第一段・降誕御和讃」を何も見ずに朗々とお唱えになりました。かつて斯道会のみなさんが宗門の御和讃第一号として、誇りを持ってこの曲を唱えていたようすが目に浮かぶようでした。
秋田県龍泉寺 佐藤俊晃