【International】「自然と禅」
私は2011年よりドイツはベルリンを拠点に活動しています。今年から都会を離れた、より土に近い郊外での暮らしに挑戦しています。その日生きることに精一杯で、披露できるような国際的知見は持ち合わせておりませんが、この度寄稿のお声がけをいただき、とにかく今までのことをご報告したく綴っています。
20年程前に地元鳥取から東京の大学に進学するも、貨幣経済を基礎とした現代社会の仕組みに迎合できずにいた私の生活は、幸運にも大本山永平寺で修行する機会を与えられ一変しました。
何も特別なことをするわけでなく、古今東西、人があたりまえに行うことを、あたりまえに行うだけ。それなのにあらゆる存在が互いに和敬をもちあえる人類のあり方が追及されている。質素で単調な暮らしも智慧によって、かくも彩り鮮やかで豊かなものになりうるのかと感激するばかりでありました。永平寺を出た後は師寮寺の出雲へ。陽が沈んだら眠り、鶏声に目覚め、洗顔、坐禅、読経、食事、作務……できるだけ禅の暮らしを真似ながらただただ歩きました。その日の宿もお金もなく困ることは度々ありましたが、死ぬときは死ぬしかないと覚悟を決めて進んでいると不思議と落ち着いてきます。不安から策を講じるよりも、今そこに与えられたものに感謝して精一杯生きる方が、結局は満ち足りることを発見し、それを東京でも保つよう試みました。
すると数年経っても命を落とすことはなく、貧なるも分かち合うことでむしろ豊かさが広がりました。ですがそれは、日本だからたまたまかもしれません。世界でもこの暮らしができるかを試すべく2011年にドイツへと渡りました。
当地でもやることは同じです。起きて坐って作務をする、来るもの拒まず去るもの追わず、困った人には声をかけ、誰もができる普通のことを、普通に行う日々。最初は小さなアパートに畳を敷き日々坐っていました。そのうちカフェの店主がここで坐りなよ、と。次にアートギャラリーのオーナーがここでも坐らないかと。さらには環境の整ったフェルデンクライスのスタジオでも日々坐禅をさせてもらうようになりました。
そのうち興味をもった近所の人が訪れ、さらに毎日一緒に坐る人もでてきました。例えばポーランド出身で国境近くにエコビレッジを作っているパヴェルさん、報道記者として働くピザが得意なイタリア出身のステファノさん、30年以上坐禅を続けているヴォルフガングさん、飛騨の神社出身の紀子さん等々……こうした人々のおかげでこちらも頭燃を払う想いで仏法や異国で生きる人々の暮らしを学びたくなります。明日のあてがなくとも、今日の一坐を大切にしていると多くの人に支えられ、明日の希望が生まれることを知りました。
EUに初めて住む日本人は滞在許可が必須で、通常は1、2年ごとに、強面の外国人局員と面接します。面接で最も重視されるのはお金です。話せるドイツ語は「ありがとう」と「ごめんなさい」だけ。そもそもこんな低収入で暮らせるのかとあきれられ、社会保障の世話にならない証明に様々な追加書類を再提出に通いました。一人ではすぐ断念したはずですが、みるみる現地の文化と言語に溶け込む私の家族、支えてくれる人々のおかげで2018年にはEUの永住権を取得できる運びとなりました。
ようやく認められた嬉しさの一方、新たな疑問も湧きます。
「その地に永く住む権利」は誰が、何に、何を根拠に与えるものなのか。人間だけの都合によってないか。鳥獣虫草木菌類と面接してその権利は認められるのか。今の都市生活は子々孫々まで継承できるのか。
そのように問うていくと、結局のところいかに食べ、眠るか、といった生理現象を調えるしかなく、ZENに学んだ暮らしにどれだけ助けられているかに驚きます。
例えば自然どころか人間ばかり、いや、我身のことばかり考えてしまう私の暮らしは、お米を数粒他己に施す生飯の作法によって正気に引き戻されます。寒くなり家の周りの燃えそうな木々を薪に拾う時間も「運水搬柴」を想い出すだけで楽しく務めることができます。
Wenn man der Natur etwas nimmt,muss man ihr etwas zurück geben.
(和訳)何かを自然から取れば、何かを自然にかえさなければならない
これは遺伝子工学の博士である故橋丸光さんの言葉です。ドイツで生まれ育ち、幼少からカントやヘーゲルを熱心に学んだ彼女は、近年仏道修行に憧れていたそうです。2年前に大使館から至急の連絡をうけ病院の集中治療室で初めて拝顔した際はすでに意識がなく、若くして他界されました。
いかに科学が発展しても、自然の理に従っていなければ長続きすることはありません。20年前には当たり前だった社会の仕組みもここ数年で激変しています。人間のことばかり優先して考えると結局人間のためにもならぬことを気づかせていただく毎日、さらなる学びが必要です。柄杓の底のしずくを大切に流れに還すような先人たちのおかげで、今の暮らしがあることは日本にいても海外にいても変わりません。願わくは次世代にも。
両親からいただいた小さな一滴が私となって以来、今までほんとうにたくさんの有難いご縁に支えられてきました。今、遠くて近い、似て異なる地に住む存在とも手をとり、心を通わせ、日々報恩に暮らすことばかりです。
どうぞ好い日々となりますよう。 祈諸縁吉祥
ヨーロッパ国際布教総監部 書紀 樋口星覚