梅花のこころ~梅花流詠讃歌~ 「正行御詠歌(道環)」
毎月発行の『禅の友』では「梅花のこころ~梅花流詠讃歌~」と題しまして、梅花流詠讃歌の曲をもとに、解説や執筆者の想いなどを紹介しています。今月は梅花流特派師範 東京都 宗保院 鬼頭広安による「正行御詠歌(道環)」のお話です。
冬ゆきの いのち伝えん春ははな
夏ほととぎす 秋はもみじば
「正行御詠歌(道環)」
今年のお盆は新型コロナウイルスの影響で、例年とは異なる過ごし方をされたかもしれません。しかし、外に目を移すと、草花はいつもどおり時期がくれば花を咲かせ、鳥はさえずり、四季に合わせて葉は色合いを変えていきます。天地自然は黙々とひたすらに、みずからのいのちの営みに励んでいます。
道元禅師は「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」と詠まれています。私たちは古来より四季の移ろいや自然の姿に深い意味を見出してきました。しかし、この歌に込められているものは単なる自然賛美ではなく、森羅万象すべてを仏の姿と受け止めて、日々の仏道を歩み続けることの大切さです。
春に芽吹いたいのちは、夏を懸命に生きることで秋に美しく色づき、厳しい冬を経るからこそ春に再び芽を出します。大自然は、いつもそれぞれの時期や場所に応じたはたらきを示し、そして絶え間なくその生き方を次に伝えています。私たちの暮らしも、朝のつとめを丁寧に行うからこそ昼が充実し、その結果として安らかな夜を迎えることができ、明日につながるのです。
お寺では行事のことを「行持」と書きます。常に怠らず修行を持ち続けるという意味です。起床から食事、掃除や勤行そして就寝まで、損得や好悪を離れ、今すべきことをひたすらに丁寧につとめ、味わっていくと、身と心がおのずと定まってきます。
外出自粛生活は、日常の一つ一つを「行持」として見つめ直すきっかけにもなったかと思います。私たちの生活が仏道そのものであると気づかせてくれるのが梅花流詠讃歌です。皆さまも一緒にお唱えしてみませんか。