梅花のこころ~梅花流詠讃歌~ 「新亡精霊御和讃」四番
毎月発行の『禅の友』では「梅花のこころ~梅花流詠讃歌~」と題しまして、梅花流詠讃歌の曲をもとに、解説や執筆者の想いなどを紹介しています。今月は梅花流特派師範 東京都 宗保院 鬼頭広安による「新亡精霊御和讃」四番のお話です。
七七供養の毎日に 戒名を称えて掌を合わす
行持むる而今のまごころを 回らし手向けん
みほとけに 回らし手向けんみほとけに
「新亡精霊御和讃」四番
50年ものあいだ連れ添った夫に先立たれたSさん。入院中、自宅に帰りたいと望まれていた夫の願いを叶える為に、Sさんは介護職員養成の学校に学生の方々に交じって通い、ついに資格を取得され、日々献身的に尽くされましたが、やがて別れの時が訪れました。葬儀を経て、深い悲しみと喪失感を抱いたままで迎えた四十九日の法要。その際にこの御和讃を耳にした時、Sさんは、亡くした後に初めて夫の姿に出逢えた気がした、詠讃歌に心が救われた、と話してくださいました。
梅花流詠讃歌には、ご供養の為の曲が多くありますが、この御和讃は、特に亡くなられて間もない方を想い、お姿を偲ぶ心にそっと寄り添ってくれる曲です。
人が亡くなった後、四十九日間を「中陰」といいます。遺影を前にローソクの灯を通して在りし日の思い出に浸り、線香の煙を辿っては亡き人の生きざまが偲ばれる、そのような経験をされたことがどなたにもあるのではないでしょうか。そして悲しみの中にも、出逢うことができたご縁の有難さ、無常の命の尊さがしみじみと感じられることがあるでしょう。七日ごとのご供養を懇ろに勤め、亡き人にまごころを手向けていく。さらに、掌を合わせている私自身の姿を、亡き人も見守ってくださっていることに、ふと気づく瞬間がある。まごころは一方通行ではなく、回めぐり続けているのですね。
たった一つの言葉で気持ちが救われ、ほんの一節の旋律が胸に響き心の友になる。梅花流詠讃歌には、そんな出逢いがたくさん詰まっています。
ご一緒にお唱えしてみませんか。