梅花のこころ~梅花流詠讃歌~ 「坐禅御詠歌(浄心)」
毎月発行の『禅の友』では「梅花のこころ~梅花流詠讃歌~」と題しまして、梅花流詠讃歌の曲をもとに、解説や執筆者の想いなどを紹介しています。今月は梅花流特派師範 東京都 宗保院 鬼頭広安による「坐禅御詠歌(浄心)」のお話です。
濁りなき心の水にすむ月は
波も砕けて光とぞなる 光とぞなる
「坐禅御詠歌(浄心)」
私が住職をしているお寺は街の喧騒の中に立地しています。日中は自動車や電車の騒音など様々な物音が絶えることなく、いつのまにかそれに慣れてしまいました。ところが、深夜から早朝にかけて、その音も止み、ひっそりと静まりかえる瞬間があります。そんな時、見慣れた風景がいつもと違って感じられます。
私たちの心は、日ごろ様々な物事に振り回され、揺れ動いてしまいます。思いどおりにならないことがあれば腹をたて、少しでも褒められれば有頂天になり、心配事があればすぐに落ち込みます。そのような時、背筋を伸ばし、ゆったりと大きくお腹で呼吸をしていると、いつの間にか心が定まり、目の前の物事が落ち着いて見えるようになります。それはまるで、水面の波がおさまり、空に浮かぶ月の姿がありのままに映るかのようです。
今回ご紹介する曲は、道元禅師さまが詠まれた一首です。月はお釈迦さまの御教えや祖師方の坐禅のお姿を表しています。坐禅は仏法の根本であり、お釈迦さまがお悟りを開かれた時の姿です。私たちも姿勢と呼吸と心を調えて、正しい信仰、仲よい生活、明るい世の中を願い、毎日を丁寧に勤めていくことが大切です。
さて、梅花流詠讃歌では通常「チン」という音色が響く鉦と、「リンリン」と鳴る鈴という法具を用いますが、この曲では鈴を用いず鉦のみを伴ってお唱えされ、一層厳かで静謐な雰囲気に包まれます。どうぞ旋律に身を委ね、「光とぞなる」の最後の余韻にまで耳を澄ませてみてください。きっと自分の中の「月」に気付くことができるでしょう。そして心静かに坐ってみましょう。
皆さまも一緒にお唱えしてみませんか。