迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第5章・第26節)~
初めて触れる『修証義』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第26回は、第5章「行持報恩」の第26節について。
第26節 「願生此娑婆国土し来れり」
■ライターはこう思いました
最終章である第5章の冒頭部分であるこの節。佳境というかラストスパートというか、いよいよ『修証義』の最後になります。
この節で言っていることは、ただひとつ。「喜び」です。
誰か他者から受けたもので、ありがたく感じるのは「喜び」でしょうか、それとも「恩」でしょうか。
似たようなものでありながら、実はちょっと毛色が違うのがこの「喜び」と「恩」なのではないかと思うのです。
例えば、大好きになったミュージシャンがいたとしましょう。そのミュージシャンの曲を聴くたび、喜びを感じるはずです。日常的に触れることで、ときに励まされ、ときに気づかされ、ときに負った傷を癒してもらうこともあるでしょう。すると、私たちはいつのまにか、その大好きなミュージシャンに恩を感じ、感謝の念を抱くこととなります。
喜びが発展すると、そこに恩を感じる気持ちが生まれる。
改めて考えてみると、この心の動きはとても自然で、でもキモとなる部分も見えてきます。それは、日常的に触れることの重要性です。
喜びを与えてくれるものと多くの時間をともにして、こちらの状況の変化に照らし合わせ、常に自分の気持ちを反映する。そうすることで、喜びが恩へと変容していくのではないでしょうか。
一方、単独で発生(?)する「恩」もあります。
駅のホームで荷物をばらまいてしまったとき、通りすがりの人たちが集まって拾い集めてくれた。初めて訪れる外国の街角で迷子になり途方に暮れているとき、優しく声をかけてきてくれた。
そういう縁もゆかりもない人から恩を受けることがあります。そのときには、とても嬉しくありがたく、大きく感情は揺さぶられますが、その恩を返すべき相手は次の瞬間にいなくなってしまいます。与える方は一瞬の親切心からの行動であり、恩を返してもらいたいと思ってのことではないでしょう。だから、少しも残心することなくその場から退場していきます。
恩を受けた方も、もしかするといつのまにか忘れてしまいます。忘れがちです。
恩を受けた方は忘れてしまうことが多いけれど、でも親切にすることは大事だよ、ということで「情けは人のためならず」ということわざがあったり、恩返しをされて幸せになるというような流れの昔話がたくさんあったりします。人の世のあり方として、とにかく「恩を与える方」の育成に重きを置いているような気がします。
つまり、「喜び」は体験的に享受するもので、それが次第に「恩」「感謝」のようなかたちに変容していく。
一過性の「恩」は、受けた方に大きな変化を与えないことはままあることだが、でもそういう報いがないからといって「親切」や「恩を与える」ようなことをないがしろにしてはいけない。
人には、この2つの心の動きと仕組みがあるように思えます。
ひるがえって。
この節では、この世界に生を受けることができた喜び、仏と出会った(仏教と出会った)喜び、そうしたものは他とは比べもののないほどの喜びだ、としています。
しかし、生を受けた喜びは、次第に薄れていきます。そもそもそう感じない人も多いことでしょう。仏と出会うという喜びも、具体的な体験的喜びが伴わなければ影響力が大きいとはいえません。
しかし、仏の教えや考え方を理解するとき、その根底には「喜び」がなくてはいけない。この節ではそう説いているように思えます。
喜びがどのようなかたちに変容していくのか。そのあたりを意識しながら、読み進めていきたいと思ったのでした。
■禅僧がライターへこう応えました
ロイさんが仰る通り、この節の主題は、「喜び」です。つまり、「過去のさまざまな因縁によって、長い間の願いが叶ってようやくこの世界に生を受けることが出来た喜び。そしてこの世界でお釈迦さまに出会えた喜び」です。
ですが、ここで一つ考えてみて下さい。はたして私たちはその「喜び」を感得する事が出来ているでしょうか?
そもそも「娑婆」という言葉は、通常は「人間がさまざまの苦しみにたえ忍んでいるところ」といった意味であり、その「娑婆国土」に「生」まれることを「願」ったということを、「喜び」と感得することは、通常は、出来ないでしょう。
もしもその「喜び」を真に感得できるとするならば、私たち一人ひとりが、この修証義のお言葉を、さまざまな苦しみや悩みなど、私たち自身の身の上に起きる出来事として受け止め、深く理解し、信仰できた時のみでありましょう。
さまざまな苦しみや悩みを抱えられておられる方が、この修証義のお言葉を通じて、それまでの自分自身の生き方や苦悩を振り返り、見つめ直し反省をし、仏法僧の三宝を敬い尊び、三つの誓いと十の戒めを実践する生き方を選び、社会においては四摂法に代表される生き方を実践しようと決意できているならば、その時すでに、その方の「生」は、「喜び」につつまれ、「報恩」・「感謝」へと展開しているのかも知れません。
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