迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第4章・第23節)~
初めて触れる『修証義』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第23回は、第4章「発願利生」の第23節について。
第23節 「利行は一法なり、普く自佗を利するなり」
■ライターはこう思いました
この節では「気持ち良く生きるための4つの定理」の3つめ、「利行(りぎょう)」について語られています。
現代語訳では「生きとし生けるものに対して、利益が及ぶように手立てをめぐらす」ことだと解釈しています。つまりは、利他行為全般のこと。そうすることで、気持ちよく生きられるのだ、と語っています。
もちろん、迷える中年ライターにとっても、ここに疑義を挟む気はありません。逆サイドに振って考えるならば、すべての行為を自分中心にして生きたときに果たして楽しいかどうか、考えるまでもなくその答えは「NO!」だからです。飲み屋でのちょっとした軽口ですら帰り道で反省してしまうような小心者の私にとって、利己的な振る舞いだけで人生を過ごすなんて、怖くてやってられません。あとで自己嫌悪に陥るくらいなら、背筋を正して利他を肝に命じた方が、楽なのです。
さてそんな「利行」ですが、この節で気になったのは(本筋からは少し逸脱しますが)、例に出てきた亀と雀です。
亀の話は晋の孔愉という人が売られていた亀を不憫に思い買い上げて放してあげると、彼はのちに立身出世をし、それは亀の恩返しによるものだった、という話です。雀の話は、後漢の楊宝という人が傷ついた雀を助け、その行いの報いとして子孫が立身出世をする、という話。
いずれも、見返りを求めずに目の前にいる動物の窮地を救ったことで、のちに恩返しを受けるという故事。それを引き合いに出しています。
この亀と雀の話を、わざわざ例に出している(「修証義」で仏の逸話以外にここまで具体的な逸話が重ねて語られることはなかったはず)ということ、それはつまり単なる例には止まらず、なにか含みがある、私はそう読んだのです。
たとえ話というのは、極端な例を提示してわかりやすくするもの。ではどのあたりが「極端」であり、着目すべき点なのか。それはきっと「時間経過」ではなかろうか、と思うのです。
亀の孔愉は、立身出世したあとに、とうに忘れていた亀のことを思い出します。楊宝に至っては、出世をするのは息子の楊震からです。
物言わぬ動物に対してすら、その利になることを行いなさい。そうすればいい報いがあるよ。でもその恩返しは、今日明日の話ではなく、うんと先の話なんだよ、という極端さ。
「最初から、すぐに自分の利に繋がるとは思うな」と強く釘を刺しているように思われます。
この感じ、優しいようなでもちょっと厳しいテイストが混じっている感じ、これこそが「修証義」っぽいなあ、と感じるのです。
そういえば、亀の恩返しといえば浦島太郎が有名です。これは現代から見れば立派な昔話ですが、初めて登場したとされる「日本書紀」の成立が720年。亀の孔愉の没年は342年とされていますから、浦島太郎の物語はどう短く見積もっても380年近く「新しい」話なわけです。つまり、大昔からある「動物による恩返し」も、この時点で既にいろいろと変質しているのではないでしょうか。
この場合は、恩返しはすぐには無理だよ、という部分が変わってしまっています。だから、その「過ごすべき時間」が玉手箱の中に凝縮してしまったと解釈することができます。あ、だとしたら、言いたいことは変わっていないのかも……。
そんな余計なことまで考えてしまいました。
■禅僧がライターへこう応えました
コラムを拝見して、良く理解されていると感心しました。
利行で大切なことは、「利行をすると、どんな善いことがあるか」を取り違えないことです。
私たちは「良い事をすれば良い見返りがある」と考えがちです。そうすると、良い行いをする(手段)の目的は、良い見返りがある(結果)と考え、良い見返りを得るための手段として良い行いを位置づけてしまうことになるのです。すると、ガツガツと見返りを期待しながら利行を行う、結果見返りがないと不満を募らせ、感情を荒立てるという本末転倒なことになってしまいます。
「利行」の目的はただ一つ、その行為によって自分が気持ちよく生きられることに尽きます。「利行は一法なり、普く自他を利するなり」とあるように、自分の行いによって相手が幸せになる姿を、自分の喜びにするという即応的な一点に尽きるのです。でも、善い事をすれば、善い報いがないはずがない。結果的に副産物としての「自分への利益」があるという事実も、時間経過で「報謝を求めない程度」に示していると受け止めれば良いのだと思います。
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