迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(第3章・第17節)~

2018.02.23

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初めて触れる『修証義しゅしょうぎ』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第17回は、第3章「受戒入位」の第17節について。

honbun第17節 「諸仏の常に此中に住持たる」

■ライターはこう思いました

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ライター 渡辺ロイさん

人と人との関わり合いとはお互いに助け合うこと。戒めを受け止めることも、やはり利他につながる……。というようなことをこの節では言っています。
自然の営みに例えるなら、生育の循環のように、風や水、草木の相互関係にも似て、どちらが先とか上とかではなく、お互いに助け合っている姿に似ている。戒めを受け取り守ることは、それが自分の役目であり、誰かの助けになることなのだ、と。

個人的には、原文にある「冥資」という言葉がお気に入りです。
簡単な語義では、どうやら目に見えない神仏の加護のことを指すようですが、現代語訳では「助け合いの中で自らの役目を果たす」ことで得られるもの、というような文脈で出てきています。

ここで中年ライターが感じるのは、この冥資は仏からの一方的な助け(「資」は「たすけ」の意味)ではないはずだ、ということです。
よく私たちは「○○に資する」なんていう使い方をします。社会に資する仕事、とか、地域の活性化に資する活動、のように。
こういうとき、イメージとして結構限定的な意味を想像します。そもそもの「資する」の語義である「何かの材を与えて助ける」から想起される、なんというか、“モノを出すから結果出してね”的な、少し主体から距離のある感じです。
でも、冥資という言葉が前述のような文脈で使われているということは、資する側もやはり大きな仕組みの中に飛び込んでいる、と読むほうがいいのではないかと思うのです。

仕組みの中に飛び込まないで、誰かを助けたり、誰かに助けられたりすることは不可能です。
お偉い学者や役所、政府からの「提言」が、これっぽっちもピンとこないのは、こちらに飛び込んできていないからです。
助けてやるし、助けてね、という「お互い様」の体温が感じられないから、空々しく聞こえるのではないでしょうか。

つまり、助けるためには助けられることも必須、ということです。
助けられることが前提なら、偉そうにする必要はありません(逆に恥ずかしいですしね)。
助けることが当然なら、大げさに感謝される筋合いもありません。
我が身を使って仕組みの中で役目を果たす、そういう仏教の考え方は、とても好感が持てるのです。
前節の禅僧からの返答の中にあった「菩提心」という言葉。
これは禅僧が仏道に臨むときの覚悟であり、自分のためではなくあまねく多くの人々のための決心、というようなお話でした。
そしてこの節の末尾にも登場しているのですが、現代語訳では「悟りを求める心を起こすこと」というようなものになっています。
つまり、動機ですね。
でも、前節の禅僧からの返答にもあるように、人のために仏の道を行く覚悟というのは、人の世界にあって、しかも仏と同じ悟りを目指すという結構な離れ業を人生をかけて行おう、という気概に感じられます。
仏教に帰依しておらず、厳格ではないながらも仏教的なものの考え方に好感を持っている、いわばrelaxed buddhistな中年ライターにとって、この菩提心というのは「なんとなくわかるけど、理解しきれていない心の動き」と捉えています。
多くの門外漢たちもそうだと思うのです。

なので、『修証義』の中でこの先、この菩提心がわかりやすく説明されていくことを楽しみにしています。

 

■禅僧がライターへこう応えました

私たちは、普段、自分の人生を改めて考えたり、生活を見つめ直したり、ということはあまりないと思います。でも、ある時ふっと、自らの存在に対し疑問が生まれ、あるべき生き方を求めようと、仏教に帰依し、心に誓ったならば、自らを取り巻く環境や人間関係、はたまた自分ではどうにもならない大きな力の中で生かされ、また、生かしあっている自分自身の姿に気づくことが出来る。これがこの節の趣意といえます。

そうした気づきは自らの力で得たようにも思えますが、自らの切なる思いに呼応するように真理のほうからやって来てくれて、その助けによって、気づかせてくれたとも言える。だから「冥資」と表現しているのです。

自分自身でなんとかしよう、という思いばかりであればこのような感覚は味わえないのではないでしょうか。ロイさんがおっしゃる「大きな仕組み」の中に飛び込んだ時に、様ざまな相関関係の中にある自分という小さな存在に気づき、それと同時に、草木や石ころに至るまで、それぞれが持ち分を発揮し懸命に耀こうとしているあり様を見出すことが出来るのです。

大きなシステムの中に飛び込む覚悟こそが「菩提心」です。そして、その中から、自分ばかりではなく他者のためにも生きようとする「利他」の気持ちが芽生えてきます。次節以降はそうした利他の心の展開について説かれていきます。どうぞお楽しみに。

 

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