迷える中年ライターが『修証義』を書き写してみた ~曹洞宗のお経を一般人が読むと?(総序・第6節)~
初めて触れる『修証義』の本文を読み、鉛筆を手に書き写し、また現代語訳を読む中で感じた事を率直に語っていきます。第6回は、総序第6節について。
第6節「当に知るべし今生の我が身二つ無し、三つ無し」
■ライターはこう思いました
この節の本題は、多分タイトルにもなっている「当に知るべし今生の我が身二つ無し、三つ無し」の部分でしょう。
解釈文では「私たちの人生はやり直しがききません」と、さらりと現代語に訳しています。改めて言われるまでもなく、まさにその通りです。誰しもが、そんなことは知っているよ、と応じたくなるほどの常識です。
今の人生を大事にしなさい、という重要部分は、しかし導入部でもあります。
この節では、そこから「では、そういう人生で、あなたは悪い行いをしていませんか?」と、重ねて問うてきます。
大事な人生なのに、悪いことをしていませんか、と。
「悪い行い」「悪いこと」と、普通に書きましたが、この「悪」とはなんでしょう。
少なくとも、誰が見ても悪いことや、明らかにルールから逸脱するような、いわゆる犯罪などだけを指しているとは思えません。
もっと言えば、そういうピンポイントの行動を指しているとは考えられないのです。
なぜなら、「悪を造りながら悪に非らずと思い」という一文があるからです。
ここで問題になっている「悪」は、見ようによっては一見悪いことに見えないこと、なのかもしれません。
そして、そういう「悪いことを起こしていると自覚しないままの状態」は、人生をもったいないものとして終わらせているんだよ、と語っています。
ここで、ちょっと脱線。
林修という人をご存知でしょうか。有名予備校の講師であり、その博覧強記ぶりとキャラクター性が受けて、いまでは彼の名前を冠するクイズ番組がいくつも作られるほどの人気者です。
私自身は、彼のことを別に好きでも嫌いでもありませんでしたが、ある日、彼の発言を聞いて、俄然好きになりました。
とあるテレビ番組で問題を出された林さんは、即座に答えられませんでした。そして、こう言ったのです。
「これは、私が知っているべきことだった」と。
このセリフを聞いて、私はゾクゾクしました。
知識や正しい見解は、それを持っていることがプラスになる事柄です。持っていれば褒められたり得をしたりしますが、持っていないからといって責められるようなことではありません。
でも、林さんは「これは、私が知っているべきことだった」と、自分を責めるようなことを言いました。
知識が豊富だと思われて番組に呼ばれており、なおかつ専門分野や今まで得た知識を考えれば、「この知識は、知っていてしかるべきものだった」と推測したのだと思います。
この感覚を、私は「すごい!」と思いました。
子供は、知識の持ち合わせが少ないものです。これからの長い人生において、知識は時間をかけて蓄積していくものですから。なので、教師や大人は、子供の知識の無さを責めるのではなく、新たな知識を授けなくてはいけないのです。
では、大人はどうでしょう。
知識のないこと、「知らない」ということを盾にして、子供と同じ立場で「だって教わってないもーん」と、開き直っていいものでしょうか。
そんなもの、ダメに決まっています。
そして、それは単にクイズの答えという、単純な知識だけの話ではないのです。
本来大人というものは、先ほどの林さんのように「知っておくべきことがある」と自覚する義務や責任があるはずです。
でも、なかなかそういう人は多くはありません。
だから、「これは、私が知っているべきことだった」と言葉にできた林さんは、すごいのです。
知らないということは、「悪を造りながら悪に非らずと思い」、そう生きてしまうことです。
でも、迷える中年ライターは、そこからこんなことまで読み取ってしまいました。
「人生には知っておくべきことがあり、それを知らない状態はダメなのだ。だから、努力をする覚悟をしてくださいね」と。
私個人としては「知っておくべき責任がある」という感覚は、とても大事だと思っています。自分の中では満足していることでも、不用意な発言や行動が、周りの人を傷つけてしまう可能性もありますから。
そういうときに「でも、知らなかったんだよ」とは言いたくありません。自分の人生をよくすることも大事ですが、大事に思う周囲の人のことも考えてしまいます。
だから、知ろうとする努力は続けなくては、と思っています。
■禅僧がライターへこう応えました
この節の主旨は、「二度とない人生を大切に生きる」という点にあります。そして、「そうであるならば自らの行いはどうだろうか?どうあるべきなのか?」と自問すべきである、と展開していきます。
一つ注意していただきたいのは、「悪」という言葉のニュアンスです。「ここで問題になっている「悪」は、見ようによっては一見悪いことに見えないこと、なのかもしれません」と、ロイさんがおっしゃっているように、ここで言う「悪」とは、一般的な善悪の悪ではありません。
私たちは、人生の道理について明るいか、と問われれば必ずしもそうではありません。それゆえに、知らず知らずのうちに過ちを冒してしまうこともあります。ですので、私たちの愚かさゆえに生じるものごとを「悪」と表現しているのです。そして、「悪」はスパイラルとなってさらなる結果を生み出していきます。
その連鎖を断ち切り、かけがえのない人生を精一杯輝かせることが出来るか…、それは私たちそれぞれに問われている、そのことを自覚して歩んでいきたいものです。
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